「変わらなきゃ。」というキャッチコピーが登場したのが1995年。
これは日産自動車の企業広告。
「変われるって、ドキドキ」というキャッチコピーが生まれたのが2001年で、これはトヨタ自動車のカローラのコピー。
就職氷河期のまっただ中の頃だ。
長引く不景気の中で、これまでの仕事のあり方、そして人生のあり方を見直し、変わらなければいけない、という反省や焦りが時代の気分だったのだろう。
それが2007年になってくると「変われ変われの大合唱が耳に五月蝿てしょうがない。」と、「変わらなきゃ」の圧力に対して食傷気味になってくる。
これはサントリーの角瓶のコピー。
そして2020年のサントリーの広告には「時代は変わる。それだけで人間は変わらない。」というキャッチコピー。
ここでもまだ、変わることへの抵抗が続いている。
こうやってキャッチコピーを振り返ると、人生100年時代なんて言われるよりもずっと前から、ぼくらはずいぶん長い間「変わらなきゃ」という空気に振り回され続けているんだなと感じる。
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まあ、よく考えてみれば、というかこれはそんな十数年の話じゃなく、人類はずっと変わり続けてきた。
人間の生活が変わり続けるのは当然のことで、ただ、そのスピードが速くなってきただけだ。
変わらなければ置いていかれるだけだ。
環境に合わせて変化して適応した者だけが生き残る。
そう、クールに言ってのけることもできないことはない。
だけど、今の世の中がぼくたち人間に強いる変化のスピードは、ちょっと速すぎるようにも思う。
まだ若いうちは新しいことの吸収も早いし、変わり続けられる気力と体力がある。
でも、高齢化が進むこの社会で、死ぬまでずっと高速で変化に対応し続けなければいけない、と思うとちょっと気が遠くなる。
氷河期世代のぼくはこれまでもずっと「変わらなきゃ」という圧力と共にあった。
だけど、どこかでちょっとした希望のようなものがあったのだ。
ひょっとしたら、年を取って、どこかのタイミングで、そこまで必死に変わり続けることを努力しなくてもよい時がやってくるかもしれない…と。
ところが世の中は、人生100年時代だ、リカレント教育だ、リスキリングだと、いつまでたっても変わらないでいることを許してくれない。
困ったものだ。
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とまあ、そんなことをぼやいてみたけど、ぼくは変わり続けることを否定しているわけではない。
むしろ自分からすすんで新しいことに挑戦したり、違うことを経験していくことはとても楽しい。
誰でもそうだと思うけど、自分から変わっていけるのであれば、何歳になっても「変われるって、ドキドキ」なのだ。
きっと、学び直しがどうとか言っている人たちも、悪気があるのではなく、そうやって変わり続けていく喜びを浸透させていきたいと純粋に願っているに違いない。
ところが、これを他人から言われるときのあのイラっとする感じといったら。
子どもの頃の、まさに勉強しようとしていた瞬間に「勉強しなさい」と言われて頭に血が上る感じとそっくりだ。
難しい。
「変わらなきゃ。」と人から言われると押しつけであり、抑圧になる。
とにかく、氷河期世代はずっと「変わらなきゃ。」と圧力を受け続けてきた世代である。
もうこれ以上、それを他人から言われても、うんざりするだけかもしれない。
それよりも、自分から動き、新しいことにチャレンジすれば、こんなに楽しいことがある、こんなにうれしいことがある、というように上手に釣ってくれたらなあ、と思ったりする。
ぼくらはなんだかんだ言いながら、昭和と平成と令和の時代を生き残り続けてきたのである。
氷の中でも活動を続けられるほど熱いハートの持ち主なのである。
うまいこと乗せてほしいものだ。