それは、突然終わる。

先日、永井玲衣さんによる「哲学対話」なるものに参加させていただいたのだが、普段は自分は対話の場を作るほうの役割ばかりなので、久しぶりに純粋な参加者として話ができてとても楽しかった。

その対話会では、ここで何か結論を出そうとしなくていい、まとめようとしなくてもいい、というルールが設けられていて、予定の時間が来ると、はいおしまいです、哲学対話は突然終わります、と永井さんがおっしゃって、はっとさせられた。

ぼくは毎日、ひどい時にはトイレに行く時間もないほど打ち合わせをしていて、その打ち合わせのたびに、この時間のあいだに結論を出さなくちゃ、そろそろまとめなくちゃ、と焦っている。
もっとイヤなのは、周りもそう思っているのを感じ取るときである。
やたら急いでまとめようとしてくる人がいると、こっちも落ち着かなくなってきて、そのテーマについてじっくり考えることができなくなってくる。
そのせいで、やたら忙しいし、やたら消耗しているのに、満足感がひどく足りない感じがしている。
そうか、それは「制限時間内に結論を出さなきゃ病」にかかっているからなんだなあと思った。

それじゃいつからぼくはこの病に罹患しているのかと考えるに、少なくとも小学校の頃からそうだったんじゃないかなと思う。
いつもぼくは制限時間内に何かを仕上げなきゃいけなかった。
テストでも、受験でも、あるいは学校に行く用意でもなんでも。
ブログを書いているときも、だいたいいつも、ある程度書き進めていると、頭の一部が先回りしはじめ、さてこの辺を落としどころにしようかな、と考え出している。
で、あまりにその先回りが早いタイミングで出てくると、書いていくのが面倒になってきて、結局最後まで書かなかった、ということも何度もある。
結論を急ぐのは、まったくもって楽しくないことなのだ。

世界はますます人間にスピードを求め、その速度についてこれない人たちをふるい落としにかかっているように見える。
そのこと自体は良いことなのか悪いことなのかは、まだわからない。
ただ、人間には向き不向きがある。
少なくともぼくは、なんでもかんでも勤勉に反応し続け、制限時間内に一定の成果を上げ続け、決して音を上げることはしない、その根性を競い合うゲームには向いていない。
いや、きっと多くの人が、自分には向いていないと思いながらも、ゲームから脱落しないように歯を食いしばっているのだろう。
それも良いことなのか悪いことなのか、わからない。

ただ、もうちょっと人間は弱くてもいいのではないか、とも思う。
あるいは、人間がけっこう弱いことを前提にした世界になっていてもいいのではないか、と思う。
そんなに急いだ先に、何が待っているというのか。
わからない。

わからないし、今日は結論も出さない。
教わった通りに、突然終わろうと思う。