40歳を過ぎたころから、「いつ人生が終わってもいいように、後悔のない生き方をしたい」とは思っている。
思っているが、それはなんというか「意気込み」みたいなものであって、実際に、ちゃんとそういう生き方をしてきたかというと全くそんなことはない。
いつも「一年後は…」とか「半年後は…」とか「来週は…」とかいうように、先の予定ばかりを気にしていて、いま、この瞬間を悔いのないように生きている感覚は、あまりなかったように思う。
ただ、言い訳になってしまうが、「いつ人生が終わってもいいように生きる」というのは、現代社会においては、取るのがかなり難しい態度だとも感じる。
なぜなら、世の中の多くのことが「予定」や「スケジュール」からできているからである。
仕事の会議では、程度の差はあれ、「これから起きること」についてばかり語られる。
子育ても、予防接種の予定から受験や将来のことまで、「これから先」のことばかりで頭がいっぱいになる。
ニュースはいつも「これからどうなる日本??」みたいな特集ばかりだ。
誰もが先のことばかり気にして生活している中で、自分だけが「いや、オレは人生がいつ終わってもいいように、いまこの瞬間を悔いのないように生きる」と突っ張るのはなかなか勇気のいることである。
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ただ、これは実は両立するのかもな、とも思ったりもする。
まず、「世の中は自分がいなくなっても存在し続ける」という前提に立ってみる。
ぼくがいなくなっても、ほとんどの人は「これから先」のことを気にしながら生き続けるわけである。
一方で、ぼくの人生はどこかで急に(あるいはちょっとずつ)終わる。
これは、ぼくの中だけで起きているできごとである。
そして、ぼくはおそらく(というか必ず)、「これから先」のことを考えていて、それが実現しない状態で、人生を終えるのだと思う。
こんな面白い企画を実現したい、というような大きな挑戦の途中かもしれないし、目の前のコーヒーを手に取ろうしている途中なのかもしれない。
どんな状態であれ、ぼくが「これから先」のことを考えて生きている以上、必ずそういう終わり方を迎えるのだ。
なので、冒頭の「いつ人生が終わってもいいように、後悔のない生き方をしたい」というのは、ちょっと美化しすぎている言い回しだ。
正確には、「いつ自分の人生が、中途半端な状態で終わっても、まあ仕方ないか、と思えるぐらいには一生懸命生きていたい」というぐらいの話なのだ。
ただまあ、そうやって言い方を変えてみると、余計に「あれ、オレ、そんな風に生きているかな…」と感じる節もある。
…とはいえ、まだ、さっきよりは、ちょっと気が楽になるように思うのだが…。
気のせいだろうか。