育児のあと、ポストイクメンはどこに向かうのか。

コウさんのこのつぶやきを読んで、いくつか思ったこと。

 

子育ては自分の価値観を変えた

ぼくが子育てに関わりはじめて少しした頃から、ちょうど「イクメン」という言葉を聞くようになった。ぼくも時々そう呼ばれることもあった。そしてそのうち聞かなくなった。なぜなら周りの父親になった人たちの多くが、当たり前のように育児に取り組むようになってきたからだ。

もちろん、色んなタイプのイクメンがいる。家事も育児もしっかりとやる人から、子どものことについてやたら口を出すわりに自分は自分のためだけの時間を十分に確保する人まで、まあ色々いるけど、いずれにしたって子育てはぼくたちにとっては大きな関心事であり、長期にわたって取り組むプロジェクトである。当然ながら、これはぼくらの価値観に多かれ少なかれ、なんらかの影響を与える。

ぼくの場合は、働く時間が短くなった。できるだけ早い時間から仕事を開始して、子どもたちが帰ってくる頃には終わらせてしまいたい、と思うようになった。ということは仕事の優先順位が下がってきた、ということだろう。若い頃は仕事がすべてだった。仕事は金を稼ぐ手段であるだけでなく、自己実現の唯一の方法だった。今は、決して仕事だけが人生のすべてではないと感じる。

あと、これはまあ年のせいなのかもしれないけど、やたらと涙もろくなった。ドラマとか見ていてもすぐに泣く。なんというか、若い頃のようにドライな世界で生き抜いていく自信がなくなってきた。また、この世の中が続いていってほしい、そのために何か貢献したい、と思うようになった。

他にも色々と変化が起きていると思うけれども、まだはっきりとはわからない。その真っ只中にいるときというのは、なかなか自分では気づけないものだ。いずれにしても、ぼくは子育てに関わるうちに、別人とまでは言わないけど、自分の中の色んなものが変わってしまったように感じる。

 

イクメンにも終わりは来る

子育てに関わりはじめた頃は、この時間が永遠に続くようにも思ったものだ。新生児の頃の慢性的な睡眠不足、プレゼン直前で一睡もできずに保育園に向かう朝、自分のための時間などまったくない週末…。だけど、どうも最近は少し楽になってきた気がする。それは自分がこの生活に慣れてきたというよりも、子どもたちが大きくなり、自分のことを自分でできるようになってきたからのように思う。いつのまにか自立の日は近づいているのだ。

ということは、意外と近いうちに、わがイクメンの生活は終わりを告げるかもしれない。ポストイクメン時代の到来である。

もちろんいきなり父親の仕事がなくなる、というわけではないけど、今のように自分の生活の大部分を占める状態ではなくなる。そのとき、ぼくはどうなるのだろう。

子育てが終わり、子どもが自立して出ていったときに、ぽっかりと心に穴が開いたような気持ちになって元気がなくなる親の状態を「空の巣症候群」と言うそうだけど、ぼくもそうなるのだろうか。

だけどまあ、まだそうなるまでに時間があるのだから、コウさんが言うように「種まき」は始めておいてもいいのかもしれない。

育児が終わったあとの「ポストイクメン」の生活について、いくつかの可能性をちょっと考えてみる。

 

仕事三昧の日々に戻るという可能性

子育てが終われば、そこで戻ってきた時間とエネルギーを、ずっとセーブしてきた仕事に使う、という選択肢もあるだろう。何も会社の業務に取り組むことだけが仕事ではない。世の中で起きていることを知るための旅に出たり、新しいことを学んだりするのも仕事のうちだ。ぼくはこの十数年、そういうことを我慢してきたのだから、思いきり満喫してもいいのではないだろうか。

なんて思うけど、ただ単純に会社の仕事をする、というだけではあまり気乗りがしないようにも思う。子育てと同じく、会社の仕事にも長いあいだ取り組んできた。仕事を楽しむとしても、これまでのような中身や働き方とは違うかたちで楽しみたい。

たとえば夫婦で一緒に働くとか、趣味の延長のような仕事をするとか(まあそれは今もあまり変わらないが)、それって仕事なの?というような変なことをやるとか。

ポストイクメンは、普通の仕事では満足できないのではないだろうか。

 

「新しい男性」としての生き方をもっと模索し続ける可能性

ポストイクメン、というのでちょっと頭に思い浮かんだのは、スヌープ・ドッグだ。

スヌープはギャングスタ・ラッパーとして一世を風靡した頃と違い、今は『お料理教室』の本を出版するなど、新しい男のかっこよさを追求している。

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それはそれで、自身の価値観をアップデートし続けないと生き残れないアメリカの厳しい現実を象徴していると言えなくもないけど、スヌープ自身はそういう自分の変化をすごく楽しんでいるように見える。

ぼくもイクメン生活を通して変わっていった自分の価値観を大切にして、もっと変わっていく、ということもできるかもしれない。

たとえば、ぼくはこれからはもっと家事を楽しめるようになりたいと思っている。家事というのは課題解決のための手段であり、できるかぎりやりたくないことだ。だけど、これをひっくり返して、むしろ家事こそ人生における無上の喜び…なんていうように変えられないだろうか、とか思ったりしている。

そうやって、今まで自分が敬遠してきたことに向き合うことで、ポストイクメンには新しい楽しみが待っているかもしれない。

 

自分が子どもに戻るという可能性

最後に思いついたのは、子育てが終わったのだから、無理に大人でいるのをやめて、自分が子どもに戻っちゃえ、というものである。

とにかく自分の欲求に素直になって、やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。これを徹底した生き方にシフトする、という感じ。

これを思いついたときには、いや、さすがにこれは恥ずかしいでしょ…という感じもしたのだが、よくよく考えてみると、これはこれで大事なのではないか。どうしても子育てをしているあいだは、親は自分が大人であろうとがんばってしまっている。子どもの模範となろうと無理をしてしまっている。だけど、そうやって自分をおさえこみ続けてしまうと、本来の自分の良さや強みが一時的に失われてしまう。せっかく子育てが終わったのなら、そういった自分を解放してやるのもいいのかもしれない。

ただまあ、これは別に子育て中でも大事にしたほうがいいような気がしている。少なくともぼくの場合、無理に大人のふりをしていても、子どもたちには全部バレているように思う。それよりも、ぼく自身が子どもに戻って楽しそうにしていたほうが色々とうまくいくような気がする。だからこれは新しい生活というよりも、これからもずっと大事にしたいこと、という感じかな。

 

変わり続けることを楽しみ続けるしかない

とまあいくつか、子育てが終わったあとの生活について考えてみたけど、なんとなく、子育てが終わったら急に生活を大きく変える、というよりも、子育てで得た経験や気づきを活かして、その延長線上に次の生活が待っている、という感じで生きていったほうがよさそうな気がしてきた。

もちろん、今後、人生に何か強烈な変化が起こるかもしれないし、そんな先のことを考えていられるようなのんびりした世の中ではなくなってしまうかもしれない。先のことはさっぱりわからない。

だからこそ、変わっていく自分を楽しんでいけたらなあと思うし、その中で変わらない自分も大事にしていきたいと思う。

なんというか、ぼくの世代はいわゆるロスジェネとして、色々と損ばかりしているようにも思うけど、別の見方をすれば、他の世代が経験してこなかった出来事に出くわし続けているわけである。だったら最後まで、次の展開を楽しんでいかないと、それこそ損な気がする。

 

まあ何が得で、何が損なのかは、人によってまったく違うけれども。