今日は、散髪をすることができた。
もう少しほっといてもよかったんだが、思い立ったときに行っておく、というのが散髪についてのぼくのルールである。
そうでないと切るタイミングを失って、ボサボサになって、それが気になって仕方がなくなるからだ。
ぼくの散髪はとても楽だ。
上の部分以外はほぼ坊主なので、注文も簡単。
どこの店で切っても、ほとんど変わらない。
だから理想の散髪屋が見つからず難民に…なんてことにはならない。
手入れも楽だ。
短いからシャンプーだけでよい。
髪はドライヤーを使わなくても一瞬で乾く。
最近は若い人たちと仕事をする機会が多いのだけど、短髪の男性は少ない気がする。
男性も女性も髪を丁寧に手入れをしている人が多い。
なんて他人事だけど、ぼくも若い頃は髪は長くて、パーマをあてたり、染めたり、変わったヘアスタイルに挑戦したり、色々やっていた。
当時はキムタクさんの影響もあり、男性にも長髪ブームが来ていた。
ぼくも流行にあやかって髪を伸ばしていたのに、なぜか安室奈美恵さんに似ていると言われ、アムラーと呼ばれた。
これは本来の「アムラー」の用法ではない。
ぼくが短髪にするようになったのは、たしか上の子どもが生まれてから、あるいはそれよりもちょっと前か、とにかくそのあたりだったと思う。
なんというか、育児というのは女性もそうだが男性の価値観も大きく変えてしまうものだと実感する。
特に子どもが小さいあいだは、いつも非常事態である。
たとえ熟睡している真夜中でも、子どもが熱を出せば、さっと起きて病院に連れて行けるようにしておかないといけないし、なかなか子どもが寝つかないので風呂に入るのを我慢して一緒に横になっているうちにそのまま朝まで寝てしまったりもする。
とにかく自分の身なりを気にしている余裕なんてないのだ。
そういう状況では、短髪というのは非常に機能的なのである。
とまあ、何を偉そうに言っているのかよくわからないけど、そのあたりから、ぼくは自分の身なりについてとか、時間の使い方についてとか、大事にするものについてとか、色んなものが変わっていったなあと思う。
そしてそれは、自分だけでは経験できない、とても貴重なものだとも思う。
ほんとに、ありがたいことだ。
ま、いまや髪の量自体が減ってきて、伸ばすほども残っていないので、結果的には早めに坊主頭にしておいてよかったな、なんて思っているのは内緒であるが。