ハエを叩き落すために、生まれてきたわけではない。

自宅で仕事をしていたら、どこからかコバエが入ってきたようで、パソコンの前を何度も飛びまわり、うっとうしい。

叩き落そうとしても、早いわ、小さいわで、まったく命中しない。
その度に集中力が途切れるので、うんざりする。

先方はますます調子に乗って、ついにはキーボードを打つぼくの指にもひょいと止まってみせてきた。
この野郎、と思って、もう片方の手でつぶしてやろうとして、ふと、オレは何をやってるのだろうと思った。

コバエと見たら駆除対象、それはそうなのだが、果たして本当にそれだけの話なのだろうか。
ひょっとして、このハエは自分に何かメッセージを伝えようとしているのではないか?
そんな風に思った。

サラリーマンの仕事の多くは、ハエを追っ払ったり叩き殺したりする反応速度を競い合うような仕事ばかりだ。
ただただ速く、的確に、小さな仕事を叩き落し続けている。
それが良いとか悪いとかではなく、最近、そういうことを特に意識もせず、ハエ叩きゲームに参加し続けている。
いつからこのゲームに参加しはじめたのか?
なぜそれが当たり前だと思うようになったのか?
本当にハエを叩き続けることに夢中になることが、ぼくのやりたいことだったっけ?

2020年から、ぼくは新しい人生を生きようと思った。
見た目にはそれほど変わっていないかもしれないが、大事にするもの、判断の根拠とするもの、あきらめずに挑戦し続けることなど、すべてを変えたつもりだ。
だけど、また元に戻ろうとしてしまっていないか?
漫然と、周りの雰囲気に流されて、自分が進もうとしている道から大幅に外れていってはいないか?
コバエを見たら、何の疑問も持たずに叩き落そうとするように、そのこと自体にも気づかなくなっているのではないか?

そんなことを考えていたら、コバエはいつの間にかいなくなっていた。