おっさんは、何が楽しくて生きているのか。

 

 

 

昔から不思議でならなかった。

 

 

 

一体、世の中のおっさんは、何が楽しくて生きているのか、さっぱりわからなかった。

よく考えると、若い頃は、まあまあはっきりと自分が若いということを自覚していて、若いあいだにしか楽しめないことがあるとわかっていた気がする。

激しい恋愛とか、長期の旅行とか、遅くまで飲み歩くとか、朝まで踊るとか、徹夜で文章を書いて昼まで寝るとか、例えばそういうことだ。

だから昔から40代になったら人生は終わりだなと思っていて、実際に自分の周りの40代の男性というのは本当に大変そうで、そしてつまらなさそうだった。

実際にぼくは40代を目前にして、これからの人生に全然期待が持てなくて、生きる意味を見失っていた時期があった。

家庭に給料を持ち帰るだけのATMと化して、仕事では若手に活躍の場を追われ、出世競争に負けて生きる屍となり、なんの生産性もない趣味や遊びに逃げ、命の残り時間がただ減っていくのをただぼんやりと眺め続けるだけの社畜人生に、何の意味があるのかと思っていた。

 

実際に、おっさんには、たしかにそういう一面があることは間違いない。

だけど、そんな20代、30代の自分に教えてあげたい。

おっさんは、とっても楽しい。

控えめに言って、最高だ。

 

 

何が楽しいかといえば、色々あるけども、まずは自分が楽しいと思えることが、はっきりとわかっていることだと思う。

 

ぼくは自分が好きな小説や映画の傾向をよく知っている。

ぼくは人間の、特に男性の情けないところや恥ずかしいところを見つめ、それを笑い飛ばしたり、あるいはちょっと直視できないような痛みをアイタタタ・・・と思いながらも分かち合ったり、あるいはどうでもいい趣味にハマったオタク同士が夢中になって論争してるような気持ち悪い話がたまらなく好きだ(そういう話をご存知の方はぜひ教えてください)。

あるいは好きな音楽もはっきりしているし、好きな絵もちゃんとある。

あとは歩くのが好きで、誰かと二人でおしゃべりしながらも良いし、一人で考えごとをしたりラジオを聴きながらブラブラするのも楽しい。

好きな食べ物も、飲み物も、着る服も、履く靴も、はっきりわかる。

 

それから、図太くいられるのも、おっさんならではの魅力だ。

若い頃のように誰からもちやほやしてもらえることは二度とないが、おっさんになると行動力が増す気がする。

直接なら押しても引いてもどうにもならないことも、勝手口に回るとか、お隣さんと仲良くなるとか、色んな選択肢を使えばなんとかなったりする。

また、若い頃と違ってプライドがなくなるので、平気で頭を下げられるし、人懐っこい笑顔を浮かべていれば、なぜか若い女の子からも優しくされたりする。

身体的にはできることは確実に減っている。

だけど、なぜか若い頃よりも明らかにたくさんのことができるようになっている。

それは能力とか技術とかではなく、自分はどうせおっさんなんだから何やったって誰も気にするまい、という明るい開き直りのおかげで、自由に行動できるようになって、結果的にやりたいことが叶っていってるのだと思う。

 

あとは、幸せのハードルがめっちゃ低い。

朝、気持ちよく目覚められたり、妻の機嫌が微妙に良かったり、日替わり定食に唐揚げが入ってたりするだけで、ひどく幸せだと感じる。

一回1500円の散髪に行って短く刈り込んでもらった頭をジョリジョリと撫でているときなんて、たまらないくらい幸せだ。

ああ俺は、ジョリジョリ、散髪だけでこんなに幸せな気持ちになれるなんて、ジョリジョリ、本当に幸せだなあ、ジョリジョリ。

 

余命が若い人より少ない、というのも意外と良い。

命のありがたみをいつも感じながら生活できる。

今日もこうやってブログを書いて一日を終えることができる。

ありがたいことだ。

 

もっとおっさんの楽しみについて書きたいところだが、おっさんだけにすぐに眠くなるので、続きはまた今度。

 

 

 

ああ、今日も楽しかったなあ、ジョリジョリ。