あるオンラインの講演会で「情報革命以降、情報の量はかつてなく増大してしまって、情報の価値はかつてなく下がった」という主旨の話をうかがって、いやあ本当にそうだなあ、と思った。
なんというか、ぼくがこの数年、ずっとモヤモヤとしていたことを言い当ててもらったような気がした。
何にモヤモヤしていたのかというと
このところ、ブログを書き続けるのが面倒だなーというか、「書く意味」みたいなものを変に考えこんでしまったりしていた。
「あ、ちょっと書きたいことがあるかも…」と思っても「いや、その時間があるなら他のことができるんじゃないか…」となってしまい、そのうち何を書きたかったのかもすっかり忘れてしまう。
あとは、やたらメールとかスラックとかチームズとか企画書とか、とにかく一日中なんらかの文章を書き続けていたりすると、ああもう今日は書くためのパワーを使い尽くしたから、ブログを書くのはやめておこう…とか自分に言い訳をしてしまう。
もっと言うならば、最近は、若い頃とはまた違う形で仕事に力を入れはじめているので、ここでブログにうつつを抜かしてしまったら鋭気が失われてしまう…とか思っているような気もする。
要は色々と理由をつけて、書かないことを正当化しようとしているのである。
でもぼくがなかなか書く気になれない一番の理由は、さっきの話である。
こんなに無数の情報があふれている世界で、自分なんかが何を書こうと大海の一滴。
誰もが何かを発信し続けている時代に、ぼくの自分語りなんて何の意味があるというのか。
いやそれどころか、海に流れこんで生態系を破壊していくプラスチックごみのように、自分が何かを書くことが無意味どころか、情報というごみを生み出し続けて世界に被害を与えてやしないか。
そんな風に感じていたように思う。
書くことは無力だ
ぼくはこれまで、何度も色んな場面で「あー自分は文章を書くことぐらいしかできることがないのに、それじゃ何の意味もない…」という無力さを感じてきた。
震災、コロナ、今回の戦争…こういうときに自分ができることがあまりにもなさすぎる。
いや、それは嘘で、実際はできることは色々ある。
あるんだけど、それはほとんどの場合、文章を書くことではない。
もちろん、ぼくの書いたことが色んな人たちの心を動かし、何かを変えていくことができるなら違うかもしれないけど、残念ながらそうはいかない。
とにかく、ぼくは何度も文章を書くことの無力さを味わってきた。
これは、なかなか心を折るには有効な方法だ。
おまけに、そんな大変な状況じゃない時でも、最近は特に自分が書いたものを色んな人に読んでもらえている感じがしなくなってきた。
だってゴミだから。
この世界において、一個人の感想をしたためたテキストデータは、ただのゴミでしかないから。
まったく、「書く意味」なんてあるもんか。
価値がないからこそ書けることもある
ところが、これが不思議な話なんだけど、「この世の中で、情報に価値なんてほとんどない」ということを他人からはっきり言ってもらえたおかげで、逆にこうやってブログを書く気が起きてきたのである。
そもそも、ぼくはもともとブログを書きはじめたとき、そこまではっきりした意味やメリットを求めていなかった。
そりゃ多くの人たちに読んでもらえたらすごくうれしかったし、書くことで得たものも色々とあった。
だけど、ブログを書きはじめたばかりで、ほとんど誰も読みに来ない、無人島で店を開いているような生活も、とても楽しかった。
少なくともそこには、ぼくという読み手がいて、そうか、オレはそんなことを思っているのか、そんなことにモヤモヤしているのか、ということに気づいてくれていた。
少なくとも、ぼくにとってはぼくの文章は十分に価値があったのだ。
おまけに、それを読んで、何やら反応したり、コメントしたりしてくれる人まで出てくる。
なんとうれしいことだろう。
ぼくはもう一度、そこからやり直してもいいように思う。
要は勘違いしていた
ブログを書き続けていると、色んな人たちに読まれることもあるし、感想をもらえることもあるし、ありがたいことに寄稿の相談までいただけたりすることもある。
おまけにぼくの場合は、ブログを書いてきたおかげで自分が悩んでいることを客観視できたり、すばらしい人たちと知り合って助言をもらえるようになったりして、人生自体を立て直すことにも役立ってきた。
ところが、いつのまにかそれが当たり前になっている。
ブログのおかげでなんとか人並の生活を送るフリをできているだけなのに、「いまさら書く意味はあるのか…」とか言っちゃって、一体何様なんだという感じである。
だからぼくは、あの無人島生活から始め直したい。
自由に、のびのびと文章を書くだけで楽しくて、ちょっとこういうことも書いてみるかとか、こんな書き方も面白いよなとか、そいうやこれについても書いておかないととか、試行錯誤する日々。
そこに「意味」なんてなかった。
書くという目的のために書くだけ。
その先に何があるかなんて、さっぱりわからない。
こんな世の中で、「見通しがまったくつかない」状況をむやみに進んでいく危険行為はなかなかできない。
ものすごい贅沢なことだ。
書くことは、高尚なことでも、何かに役立つことでもない。
人類に残された、最後の無法地帯なんじゃないだろうか。
そんなわけで、オレは書くぞ。
まだまだ書くぞ。
価値なんて、くそくらえ、だ。