もしシロクマ先生が、ドラッカーの『マネジメント』を読んだら。

京セラの創業者、稲盛和夫さんがお亡くなりになって、そういえば大学に入学したとき、経営学部の課題としてはじめて読まされた本が「アメーバ経営」に関する本だったなと思い出していた。
そんな折、このシロクマ先生(id:p_shirokuma)のツイートを拝見して、ふと、何か書きたいなと思った。

ぼくは物事を正確に把握したり、厳密に説明するのが大の苦手なので、以下はただの印象だけど、なんとなくピーター・ドラッカーの主張には「経営者はこうあるべきだ」という理想や信念のようなものが強くこめられていて、なんだか読みにくい。
なんというか、すごく禁欲的なのである。
企業は使命を持たなければいけないとか、顧客の望みに応えていかなければいけないとか、何よりもまず目的を優先しないといけないとか。
様々な事例とともに語られる彼の理論の隅々には、経営者たるものかくあるべき、という強固な念がこめられている感じがする。
また、大学の先生もすぐに「ドラッカーもこう言っている」と引用するせいで、余計に近寄りがたい印象を持ってしまったのかもしれない。
ハックルさんの『もしドラ』が流行ったとき、会社の人たちがうれしそうにドラッカーの話をするのにもちょっとうんざりしていたのを思い出す。

これに対して、マイケル・ポーターという経営学者の話はわかりやすい。
ポーターは、企業は競争の中で戦い続けていることを前提としていて、そこで生き残るには自分たちの「ポジショニング」をどう取るかが大事なんだ、と主張し、そこからいくつもの有名なフレームワークが生まれている。
なんというか、ポーターの主張はすごく現実的で、日々、自分自身のポジショニングに悩んだりしていた若いぼくにとってはピンときた。
また、企業経営を「自分たちはなんとしても生き残るんだ」というサバイバルゲームとしてとらえることは、とてもイメージがしやすかったように思う。
ただ、不況のど真ん中で青春をすごし、「勝つことが大事」という考えに疑いの目を持ち続けてきたこともあり、「ああ、また競争かよ…」と、ちょっとうんざりさせられる部分もあった。

いずれにしても、そこには、2つの対照的な経営者像がある気がする。
ドラッカーが主張するような「いい経営者」であろうと努力を惜しまない、ストイックな存在。
そしてポーターが前提としている厳しい競争の中で「強い経営者」として生き残ろうとする、タフな存在。
フィリップ・マーロウのセリフみたいだ。

話は変わるけど、学生の頃、ぼくは大学とは別に、コピーライターの学校に通っていた。
そこである先生からぼくが教わったのは「二つの矛盾したことが重なる場所を探す」ということだった。
たとえば、企業はどうしても商品のすばらしい機能について訴えたい。
でも、生活者はそんなことに興味はなく、日々の暮らしを送るので精一杯だ。
そこで、生活者の日々の暮らしと、その商品が果たせそうな役割とが重なる場所を見つけてみる。
すると、そこにコピーがもうできている(これは本当にそうで、コピーとは「書く」のではなく「見つける」ことなのだ。)

ぼくはこれを教わってから、どんどんコピーが書けるようになったし、コピーだけでなく、色んな企画を考えられるようになった。
いや、それ以上に、どんな場面でも、なにか物事を考えるときの屋台骨になっているような気がする。

それで、なんでこんな話を唐突にしたのかというと、どうもぼくにはドラッカーのように「常に自分のミッションを見つめ直し、高邁なビジョンに向けて、真摯に生きよ」という教えも、ポーターのように「厳しい生存競争の中を、知恵をビンビンに働かせて生き延びよ」という教えも、どっちも濃厚すぎて受け入れづらく、それよりも「この矛盾に満ちた世界の中で、お互いにいいなと思えるところを見つけて、なんとかやっていきません?」という軟弱な発想のほうがしっくりきたようなのだ。
年を取って、すっかり変わってしまった価値観も色々あるよな、と思うけど、不思議とこの考えはあまり変わっていない。
むしろ、年を取るほど強まっているかもしれない。

また話は変わるが、京都大学の内田由紀子先生から、北米と日本の幸福に対するとらえ方は少し異なっている、という話をうかがったことがある。
欧米では、幸せというものは自分で努力して獲得するものだ、という傾向がある一方で、日本では、幸せとは他者と譲り合ったりバランスを取ったりしながら保つものだ、という傾向があるという。
そうだとしたら、ぼくが教わったコピーライター的世界観というのは、なかなかどうして非常に日本人的で、ぼくに合うものなのかもしれない。

ところで最近は、内田先生のように人の心を研究している方々の中にも、企業の経営や組織運営などに関心を寄せる方が増えてきたように思う。
シロクマ先生がドラッカーに対して関心を持っているのも興味深い。
だけど、それもそのはずで、ぼくたちは人生のかなりの時間を仕事に費やしているのである。
だから、人の心やこれからの社会のあり方に思いを馳せるときに、企業経営や組織というものを避けては通れないような気がする。
ぼくもそういった視点でもう一度、これまで働いてきた時間を振り返ってみるのも面白いかもしれない。

まだまだ、人生にはお宝が眠っていそうだ。