未熟なぼく、中途半端な道。

うんざりすることが続いている。

 

こういう時に、平静を保って淡々と毎日をすごすことができればいいのだが、あいにく、ぼくはそんなに大人じゃないので、うんざりしているときには、うんざりするしかない。

 

気が滅入っているということを表明できる、というのも実は大事なことかもしれない、などと居直ってみる。

世の中は我慢くらべの連続である。

先に弱音を吐いたほうが負け、というような空気が充満している。

ネガティブなことを口にするのがはばかれる場面も多い。

そんな中で、ああもう何もかもうんざりだ、という気持ちを表明できる場所は、なかなかない。

だから人々はSNSに罵詈雑言を書き込み、うっせえわと歌う曲がヒットする。

やっぱりネガティブも必要なんだと思う。

 

ただあまりに闇に沈んでいる時間が長くなると余計に疲れるので、それなりに納得したら(あるいは十分ではなくても、切り上げることができそうなら)、吐き出す時間を終えたほうがよさそうだ。

というのも、どうせ完全に良好な状態には戻れないからだ。

いや、もともとそんな状態にあったことなんかほとんどない。

いつも何かしらイヤなことは起こるし、身体のどこかは痛いし、何もかもが最高の状態なんてない。

最悪な状態からは脱することができた。

それで十分なのではないだろうか。

 

また、気が滅入っているときは、自分がほんとにダメ人間に思えてくる。

日々努力をし、自己成長をし続ける人を前にすると、一体自分は今まで何をやってきたんだろうと自分がイヤになる。

ただ、他人との比較というのはそんなに大事なことではなく、人生における演出のひとつにすぎないんじゃないかな、とも思う。

自分の道を歩き続けるだけでは飽きてしまうので、スパイスとして勝ち負けがあるだけなのだ。

 

自分の道には、終わりがない。

何かが終わったと思ったら次の試練が待っている。これ以上のことはできない、やれることはやりきった、と思っていても、実は始まりにすぎなかったりする。

自分は未熟だなあと、がっかりすることもしょっちゅうあるけど、そもそも人間というのは一生完成しない存在なのだ。

他人から見れば、この人は立派だなあと思えても、本人には本人なりの悩みがあることだろう。

だから、ぼくらは安心して、未熟な存在でいてよい。

安心して、未熟で、中途半端で、終わらないこの道を歩き続ければよい。