楽になるのは、まだ早い。



なんとなく感じていることにすぎないのだけれど。



ぼくたち人間や世の中にとって何が大切か、というような話をしていると、機嫌が悪くなる人がいる。
そんなことを考えていたって1円の稼ぎにもならないと言ってイライラしはじめる。

一方で、どうやったらお金が儲かるか、あるいは節約できるか、という話をしていると、機嫌が悪くなる人もいる。
そういう人は、あからさまに不機嫌になるというよりも、大切な話をしているのはわかっていますよ、と物分かりのいいふりをしながら、しかし心の中で舌を出している感じがする。

あるいは、多くの人は、状況や場面次第で、その両方の立場になる可能性があるようにも思う。
かく言うぼく自身がそうだ。
基本的には、お金のことなんて気にせずにどうでもいいことをずっと考えながら暮らしたいのだけれども、いざ儲かりそうな話があると夢中になったり、あるいは結果的には大して給料に反映されることもないというのに仕事の収益について考えて一喜一憂したりする。

楽になりたいな、と思う。
お金と関係のないことばかり考えて自由に生きたいなと思う。
それかいっそのこと、お金のことばかり考えて、お金を稼ぐことをゲームみたいな感覚で楽しめたらいいのかもしれない、とも思う。
だけど残念ながらぼくはそのどちらも実行できないし、両方の誘惑に挟まれながら生きていくしかないのだろう。

極端に言うならば、人生というのはそういうものかもしれない。
2つの矛盾する欲望や価値観のあいだを行ったり来たりして、迷い、悩み、苦しむ。
だけど、どちらか一方だけに振り切れて楽になることは我慢して、ゆらゆらと揺れながらもバランスを取り続けていく。
もちろん時には片方に傾きすぎて、大切なものをポロポロとこぼしていくこともあるし、反対に、バランスを取ることばかりに気を取られて、前に進むのを忘れてしまうこともある。

バランスを取りながら進む生き方は、外から見るとあまり格好の良いものではない。
いや、ダサい。
若い頃は、そういう人を軽蔑していた。
人生というのはもっとわかりやすく何かをとがらせて、その方向を突っ走り、色んなものを失うことを恐れず、自分だけの世界を切り拓くことに意味があると思っていた。
だけどそれは、その人が自分の人生を振り返ってみたときに、そういう風に見えるかどうかということだけであって、どんなにとんがった人であっても、その人なりに必死にバランスを取りながら生きているというのが実際のところじゃないだろうか。
だけど若い頃は辛抱もないし、成果をあせっているし、かっこよくありたいと願っていたので、そういうことは理解できなかったのだろう。

だから、お金のことばかり話す人も、価値観のことについてばかり話す人も、みんなそれぞれの状況の中で、なんとかバランスを取ろうとしているのである。
ただ、そのバランスが最近は素人目に見ても崩れすぎているような気はする。
お金が好きな人は、お金の話しかしなくなり、価値観について考えている人は、価値観のことしか話さなくなっている気がする。
多くの人が、早く楽になりたがっているような気がする。
ぼくは自分の小さな経験から、それはどうもあんまり良い選択ではないように思う。
別に、ずっと苦しみ続けたほうがいいとも思わないけれども、人生は苦楽が適度に織り交ぜられているくらいがちょうどおいしいように思う。



なんとなく感じていることにすぎないのだけれど。