変わるのはなかなか、むずかしい。

しばらく、ひどく忙しかったし、疲れていた。

何がそんなに疲れたのかというと、お金を稼ぐゲームに巻きこまれていたのだと思う。
巻きこまれていた、というとずいぶん被害者ぶった言い方だ。
自分から巻きこまれにいっていた、と言ったほうがいいかもしれない。

お金というものは本当によくできている。
あなたの稼ぎは今月はこれくらいしかありません、とはっきり数字で見せつけられる。
すると不安と焦りでいっぱいになる。
で、必死に努力をして、うまく達成すればとてもうれしくなるし、しかしいくらやってもうまくいかないと、自分の能力や存在価値を疑うようになったりする。

あるいは力のゲームに巻きこまれにいっていた、とも思う。
どっちが強い、どっちが弱い、ということばかり気にして、自分が本当に大事だと思っているほうを選べていなかったようにも感じる。
強いとか弱いとか、そんなことはどうでもいいはずなのに。

あるいはまたもや承認のゲームに巻きこまれにいっていたし、他者との比較のゲームにも巻き込まれにいっていた。

何十年も染みついたものから離れるのは、とても簡単なことではないなと思う。

ぼくは、いい加減に気づいたほうがいい。
何をやっても、どこにいても、不安から自由になることはできない。
それなのに、お金を稼げば解放されるとか、偉くなれば楽になれるとか、勝手に思いこんでしまう。
不安だ、苦しい、楽になりたい、そういう気持ちが、わかりやすいゲームを求めてしまう。
本当に自由になれるのは、不安を受け入れて、不安も含めたいろんな感情をちゃんと感じながら生きているときだけなのに。

ぼくらはいつも矛盾の中で生きている。
もっと極端に生きることができたらいいのに、と思う。
お金のことだけ考えて働けたらいいのに。
勝ち負けだけ考えてやっていけたらいいのに。
楽しいことだけ考えて暮らせたらいいのに。
人のために役立つことだけ考えて行動できたらいいのに。
地球環境のことだけ考えて生きれたらいいのに。

だけど実際は、それらは全部ごちゃまぜになっていて、その泥水のような中で、ぼくはもがきながら暮らしている。
この状態から早く抜け出したい、と思ってもがけばもがくほど、かえって泥の中に沈んでいってしまう。
だったらどうすればいいのか?

とりあえず、体を楽にして、力を抜いて、水の中にすべてを預けてみるしかない。
別に賢くもないのに、難しいことを考えて、うんうん言っていても何も変わらない。
矛盾だらけの自分を受け入れて、この泥の流れが行きつくところまで、身を任せてみることにしよう。
移りゆく景色を味わいながら。
空の美しさを愛でながら。
いま生きていることを喜びながら。