世の中はよくなっていると、少なくともぼくは思う。

外出することが当たり前の世の中が戻ってきて、それなりの時間が経つ。

朝の電車は満員だし、観光に来る外国人もたくさん見かけるようになった。
一方で、ぼくの周りではオンラインでの会議は完全に浸透した感じがあり、オンライン、オフライン含めて、一日の中で打合せの予定がびっしりと詰まっていて、トイレに行く隙もないような時もある(さすがに、その旨を伝えて、席を外すけれど)。
また、出社したときよりも、在宅で働いている時のほうが圧倒的に忙しい感じもある。
移動時間がない分、仕事する時間が増えているし、仕事の最中に子どもたちが帰宅してくるので、早く終わらせなければと焦ってしまう。
焦ると、色々とミスも増えるので、あまり良いことはない。

じゃあ、外出を控えていた頃はどうだったかというと、在宅で働くことを基本としていたので、子どもたちが帰ってくる頃には仕事を終わらせる、とはっきり決めていた。
で、そこまでに間に合わなかったぶんは、家族が寝てからやる、というのも決めていた。
そして睡眠時間が十分取れなかったぶんは、翌日の昼食を早く終わらせて少しだけ昼寝をするとか、夜はいつもより早く寝る、といった形でカバーしていた。
ところが、出社と在宅が混じってくると、寝不足の状態で出社するとか、そのまま宴会に参加するとか、自分の休息をコントロールできないことが増えてくる。
休息も含め、自分のリズムを自分でコントロールしづらい状態というのはなかなか大変だ。
ああ、ぼくはこれまでずっと、そういう環境の中で働いていたんだなあ、とあらためて実感する。

世の中の全部が、以前のように戻ってしまったとは、まったく思わない。
オンラインミーティングが浸透したおかげで、会議時間は圧倒的に短くなったし、みんな短い時間で話をまとめるのがうまくなった。
また、仕事以外の時間の大切さに多くの人が気づいたようで、遅くまで仕事している人はすごく減ったし、お互いの健康を気づかう言動も増えたように思う。
それから、調べたことはないけど、インターネットの世界の人口もかなり増えているだろう。
外出できない中で、これまでは意地でもインターネットを使わなかったような人たちも、さすがに宗旨替えをしたケースは多いのじゃないだろうか。
もうインターネットの中で誰もがアクセスできる場所には人があふれかえっていて、オフラインの世界と何も変わらない。
いや、ちょっとでも油断すると中傷誹謗が飛んでくることを考えると、オープンなインターネットの世界は、オフラインよりもずっと危険な場所になってしまった。
だけどまあ、そうやっていろんな人たちが声を上げることができるようになったおかげで、この世にはいろんな価値観があり、誰かが気持ちよくしている時、誰かが傷ついていて、自分が思っている正しさだけがすべてじゃないのだという、まあ普通に考えたらすごく当たり前のことに、多くの人が気づくようになってきた。
そうやって、世の中は確実に新しくなったし、それはこれまでよりもかなりいい世界なのだと、ぼくは思っている。

ぼくは、こういった流れが昔に戻ってほしくない、とかなり強く願っている。
たしかに息苦しいなと感じる場面も多いし、面倒なプロセスが増えたなと思うこともある。
また、世界の各地で戦争が繰り広げられている状態を前にしてそんなこと言えるのか、という疑問もある。
だけど、人類の歴史の中で、今ほど人間が自分以外の人たちのことを考える想像力を持てている時代はなかったんじゃないだろうか。
自分の発言によって傷つく人がいないだろうか、自分の行動によって困る人はいないだろうか、あるいは、それをわかった上でも、やりたいことはあるだろうか。
そういったことを多くの人が考えるようになっている。
それは「こんなこと言うと炎上するから…」という割と下世話な感じで表出していることも多いかもしれないが、それも立派な想像力だと思う。
今、インターネットの中で何かを発信している人が感じている息苦しさやモヤモヤの正体の一つが、他者の気持ちを傷つけないようにしなければ…という想像力の要求に対するものなのだとしたら、やっぱりある程度受け入れていかないといけないのでは、と思ったりもする。

ただまあ、もうちょっとゆとりをもって生活できるようになったらなあ…とは思うけど、それはまた別の問題に起因しているように思うので、またの機会に。