シンプルが、むずかしい時代。


『ブログのおわり世界のはじまり』 - いつか電池がきれるまで

"だからといって、急に世界放浪の旅とかに出るわけじゃないけれど、自分の残りの人生のために、日常を、もう少し丁寧に生きたいのです"

2020/10/29 12:56

fujipon(id:fujipon)さんのエントリを読んで、ブログを書くことについてちょっと考えていた。



ブログを書く人が減っているのかどうかはちゃんと調べたことがないのでわからないけど、noteに何か書いていますという人はすごく増えたと思うし、そしてもうnoteには書かなくなったという人も増えたと思うし、Facebookをブログのように使ってやたら長い文を書く人もいるし、まあ他にも色んな方法でインターネットに文章を書く人はいる。
その数はたとえば、はてなブログが始まった2011年と比べたらずっと増えていると思う。

じゃあこれからも増え続けるのか、というとなんとなくそうじゃない気がする。
ただの感覚だけど、インターネットで何かの文章を書きたいと思う人のうち、かなりの数の人がもう書きはじめてしまっているのじゃないかな、と思ったりするからだ。
もちろん、まだ書いたことがないだけで、実際に書き出したらハマってしまうような人たちもそれなりに残っているのだと思うけれども、そういう人たちがいつ、何をきっかけに書きはじめるのかはよくわからないし、一生書くことがないままの場合も多いだろう。
とにかく、書き手の数は限られていると感じるのである。
まあこれは、この国の中だけの話であって、世界に目を向ければそんなことはないのかもしれないけれども、いやほんとにただのカンで申し訳ないけど、それでもやっぱり何の利益にもならないのにインターネットに文章を書いてみたいと思う人は非常に限られているような気がする。

何の利益にもならないのに書く、というところがポイントだ。
文章を書くという行為はほとんどの人にとっては何か別の目的を達成するための手段でしかない。
書くこと自体を目的として書く、なんてことはめったにないだろうし、そういう行為を世間では無駄なことと呼び、何の利益も生まず時間だけを浪費する背徳的な行為として蔑み、場合によっては罰するわけである。
もちろんぼくだって書くことだけを目的として書いているわけではなく、誰かが読んでくれるかもしれないと期待している。
だけどまあそれは言い訳というか、おまけというか、強く期待せず、たまたま付いてきたらラッキー、というぐらいのものだ。
やっぱり書くのは楽しい。
それ以上に何かちゃんとした目的があるわけではない。
そんな人が世の中にそれほどたくさんいるとは思えない。

それでまあ、ここからはとても無責任な提言なのだけど、もうそろそろぼくらは「何か立派な目的のある行動」ばかりを大事にするのをやめてみてはどうだろう。
健康のために走る、出世のために飲み会に行く、家族のために働く、そういう風に考えすぎてもしかたない。
走りたいから走る、飲みに行きたいから行く、働きたいから働く、それでいいじゃないか。
そうやって、もっとシンプルに行動してみる。
それがfujiponさんの言う「日常をもう少し丁寧に生きる」ということじゃないかな、と思ったりする。

とかく、あらゆることに目的や意味を求められる世の中だ。
そういうことから自由になれる時間をすごすことが人生の中で一番贅沢なものになっているのかもしれない。

そんなわけで、ブログは書きたいから、書く。

まあそれが一番難しいという意見もあるかもしれないけれども。