ナルシストに、なるですか。

ぼくは、もともと自分のことはかなり好きなほうで、若い頃はナルシストとか言われることもあった。

だけど、四捨五入で50歳の年齢になってみて、最近はいよいよ自分のことが好きだなあと思うことが増えた。
特にちゃんとした根拠はない。
世の中の人があっというようなすごい功績があるわけでもないし、お金儲けもできていないし、うだつの上がらないサラリーマンでしかない。
特に人間的な魅力があるわけでもないし、人から尊敬されるようなこともしていないし、とにかくただのおっさんである。
なのに、なぜだかいい感じなのである。

なぜなのかなあと考えるに、ぼくは、ぼくの好きなものについて、誰よりも詳しい。
当たり前のことかもしれないけど、それはけっこう大事なことのような気がする。
自分の好きな本、自分の好きな服、自分の好きな靴下、自分の好きな髪型、自分の好きな音楽、自分の好きな文房具、自分の好きなノートの書きかた、自分の好きな話題、自分の好きなタッチの絵、自分の好きな発想方法、自分の好きな時間のすごしかた、自分の好きな人との関係性、自分の好きな息抜きの方法、自分の好きな文章の書きかた…
ぼくはたぶん、これまでの人生の中で、そういうことをずっと考え続け、試し続けてきたのだと思う。
だから、いつだって今が一番自分の好きなことについて詳しいのだ。

いや、でも好きなものがわかっていても、それが実現できていなかったら自分のことが好きどころか余計に辛くなるんじゃないか、とも考えられる。
ただ、ぼくもそういうことは経験的にわかってきたので、それなりにちゃんと「好き」を満たすことができるものを選ぶようになってきた。
散髪は1200円で済ませられるし、おしゃれな靴下もうまく選べば安く買える。
わざわざトレーニングジムに行かなくても、軽い筋トレなら自宅で続けられる。
心地のよい人間関係が欲しくなったら、自分から作りに行けばいい。
そして、そのどれもがうまくいかなくても、こうやって好き勝手に文章を書けたらそれでいい。
そんな風に、色んな代替案をストックしていくことで、自分のことを上手にかわいがることができるようになってきたのかもしれない。

それで思ったけど、好きというのはどんどん増えていくものであって、好きがたくさん増えればそれだけ日々を機嫌よく送りやすいように思う。
そこには、めちゃめちゃ頑張らないと手が届かないような高尚な「好き」もあるけど、ちょっと手を伸ばすだけで手に入る「好き」もあるし、あるいはもうはじめから自分の手に握られているような「好き」もある。
年を取るということは、そういったたくさんの「好き」に囲まれていくことなのかもしれない。

というわけで、これからも安心してナルシストを続けていくとするか。