バカバカしい!!オレはいまあそぶぞ!!!

小島アジコさん(id:orangestar)のこのエントリを読んで、アジコさんが描く「はてなブックマークの公式キャラクター」をぜひ見てみたいなあと思うと同時に、いやあ本当に「遊び」がないなあ…と思った。
orangestar.hatenadiary.jp

アジコさんは、こうおっしゃっていて。

昔はよかった論だけれども、昔は、インターネットでのやり取りって、どこか『遊び』の部分が大きかったと思う。ネットでいくら大暴れしてもその後ろには日常があって、いつでもそこに帰っていける。今は、インターネットこそが生活において現実で、現実世界の方も現実だけどそこに差異がなくなってしまった。むしろネットでのやり取りの方がリアル(この場合のリアルというのは『生活』がかかってるということ。『生活』には生計だけでなくその他もろもろ含まれる)になっていってるのが今だと思う。

いやあ、本当にそうだなあと思う。
いつからインターネットの世界が「現実そのもの」になってしまったのだろうと考えてみたが、これはなかなか難しい問いで、ズバッと答えられる自信がない。
ただ、いつからかインターネットは「大暴れする」と、もうそこで終了、という感じになってしまった。それが「現実そのもの」になったときなのだとぼくは思う。

あと、これはインターネットの世界だけじゃなく、ぼく自身にも同じような変化が起きていて、これまでは現実においても「遊び」が十分にあった。
上司や先輩からもたくさん遊べと教わってきた。
良いアイデアが出てこないなら、今から映画でも見てこい、と言われた。実際に映画を見にいっても特に良いアイデアは出なかったりするのだが、そうやって「遊び」が許容される場で仕事をしていると、やっぱり良いアイデアが生まれやすい。アイデアは「遊び」から生まれる、というよりも「遊び」を大事にしあっている関係性の中から生まれる、といったほうが近いかもしれない。

ぼくがはてなの世界に感じていたのは、似たようなものだった。
当時、すでに失われかけていた職場の「遊び」が、そこには残っていて、もちろん中にはマジで怒っている人もたくさんいたのだが、それも含めて、みんなが真剣に遊んでいた。
結局、ユーザーの年齢のせいなのかなと思ったりもする。
当時はみんな若かったわけで、それは今の若い人たちYouTubeTikTokでわいわいやっているのとあまり変わらないのかもな、と思ったりする。
ただまあ、今の人たちの「遊び」はもっと現実との距離が近い(というか現実そのもの)、という違いはあるようには思うけど。

それで、ぼくが言いたいのは、じゃあ年取ったぼくたちはどうするか、ってことなのだが、もっと遊ぼうぜ、と言いたい。
特に、いまや氷河期世代の人口がこの国では一番多いのだ。
はてなユーザーのすべてが氷河期世代ではないというのはわかった上で、誇張して書いてます。「遊び」が大事だもん。
とにかく、ぼくらが楽しそうに遊んでいたら、若い人たちも、年上の人たちも、みんな安心して遊べるんじゃないかあと思うのである。
逆に言えば、ぼくらがあまりにも何もかも真面目にやりすぎてきたのじゃないだろうか。
インターネットで大暴れしたぶん、現実世界で賢者モードになりすぎて、アホな自分を出してこなかったのじゃないだろうか。

うん、ぼくはもっとアホを隠さずにいこう。
この世界、現実だろうが仮想だろうが、知ったもんか。
めいいっぱい遊ぼうと思う。