うまくいかないのは、うまくいかないと思っているから。

・たった3日くらいのあいだに、うまくいかなくて落ちこむ日と、そこから急浮上する日と、そのあいだぐらいの日があって、3日でもそんなもんなのだから、もっと長いあいだ調子が悪いときがある、というのもしかたないよな、と思ったりする。

・調子が良いときにさらに良くするにはどうするか、ということを考えるのは割と楽なことだ。世の中の多くのノウハウとかTIPSとかチートとかの情報のほとんどは、調子が良いときに役立つことばかりのような気がする。本当に大変なのは、そんなものをいくら知っても役に立たないようなひどい状況とか、そもそもそういったポジティブな気持ちに自分を持っていけそうにもないときで、そういう時に一体どうすればいいのか、ということはなかなか見つけづらい。

・最近、若い人の世話をする仕事を手伝っていて、同じような仕事をしている他の人たちの様子を見ることが増えたのだが、だいたいの人は優秀な若者やポジティブな若者ばかり目をかけていて、すぐに落ちこむような若者や、話をしても飲みこみのよくない若者に対してさじを投げるのが早い。おそらく、優秀な若者をさらに優秀にするほうが自分の成果になりやすいのだろうし、そもそも優秀な若者を教えるのは楽しいものである。教えただけ伸びるので、やりがいも感じやすいだろう。しかしなんというか、そういうことを露骨にやっている人に対して、ちょっと腹が立った。

・乱暴な話をするが、こういうことが世の中では常に起きていて、当たり前のことになっているように思う。できる人間はさらに伸ばすように手厚くサポートを受けられて、そうでない者は無視される。いや、ぼく自身もそういうシステムの中で育ってきて、大事にされたり、はじき出されたりしてきたのだが、しかし若者に対してはもっと救いの手が差し伸べられるべきなのではないか、と思ってしまう。というのを過保護すぎるという見方もあるだろうことはわかった上での意見として。

・だけどまあとにかく、世の中は、自分から機会をつかみにいかないと何も得られないような風潮になって久しいように感じる。

・それで問題は、そういうモードになれないときにどうすればいいか、ということである。

・ぼくの経験では、そういうときに無理に立て直そうとしても、気持ちがあまのじゃくになってしまっているので逆効果にしかならない。落ちこむときややる気がないときは、そういう自分を受け入れて、ぼーっとしたり、好きなことやしょうもないことに没頭したりして、そのうちに、あまのじゃくになっている自分に飽きてくるのを待つほうが早い気がする。

・「所詮、やるかやらないかだ」という言説を最近よく聞く。そして、まあそうなんだろうなとも思うのだが、調子の良いときはそれを「所詮、やるかやらないかだし、オレはちゃんとやっている」と解釈できるけど、良くないときは「所詮、やるかやらないかだし、そんな単純で原始的な世界で生きるなんて本当にくだらない」と解釈する。どっちが正解とかではない。「やるかやらないか」という二者択一のテーマを打ち出すこと自体が厄介なのだ。諸般の事情でいま「やれない」(と思いこんでいる)人にこのテーマを突きつけるのは逆効果でしかない。「じゃあ、やりません」とへそを曲げるだけだ。また、「やるかやらないかだ」と主張して回っている人も、無意識に、いやひょっとしたら意識的に、そうやって「やれない」と思いこんでいる人の行動を抑制しにかかっているようにも見える。だって、みんなが「やる」世界になったら、今以上に競争が厳しくなって、そんなこと言ってられなくなるのだから。

・色んな理由はあるだろうけど、自分が「やれない」と判断している以上、その判断を変えることができるのは自分だけだ。自分の気持ちが変わるのをじっくりと待つしかない。

・ただ最近は、この手の悩みについては、そもそも頭で考えないことが大事かも、という気もしている。このことをやったメリットはこうでとか、この活動の目的はこうでとか、現代の「やる」のお作法は「やる」前の頭の準備が多すぎる。バカにされるとか気にせず、とりあえず手を動かしていくほうが、手が止まらずにすむような気がする。何よりも、そうしていると気分がよくなってくる。ぼくは根がアホなので、それくらいのほうが調子を保てるように思う。