氷河期世代はこれから高齢者になった頃に切り捨てられるのではないか、という話題に対して、本当にそのままでいいのか、というエントリをいくつか拝読した。
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ほうっておくと、本当にそうなるかもしれない
若い頃に、労働組合で「成果主義への移行」を受け入れるかどうかという投票があった。
ぼくは反対票を入れた。
年功序列だからこそ、年を取るまで安心して会社で働ける。
もともと自分は昇給や出世のために働いているのではない。
仕事は好きだから、そんなインセンティブがなくても努力する。
それよりも、自分が年を取ったときのことを想像してみたら、金がなかったら困るじゃないか。
そう思った。
結果は、多くの若者たちが「上のやつらは働いてないのに給料をもらいすぎだ」という理由で賛成に投票し、成果主義への移行が決まった。
それから20年ほど経って、当時若者たちだったおっさんたちの給料の多くは、あれからほとんど上がらないままだ。
それはとても小さな事例だけど、同じようなことが国全体においても起こるような気はする。
今、ぼくら氷河期世代が、高齢者に対する手厚い保証を叩いても、その結果は今の高齢者ではなく、時間差で自分たちに返ってくるような気がしてならない。
「他のやつらはもらいすぎだ」という論法はとてもわかりやすくて爽快なのだが、その矛先は自分たちにも向かう。
まあ、あまり賢い態度ではないだろう。
日本の政治と選挙の仕組みはあまりにも古すぎる
じゃあ、氷河期世代が政治家に立候補すればいいのでは、あるいは政党を作ればいいのでは、という意見もある。
それはとてもいいことだと思う。
ただ、普通の人が政治家に立候補するのは、かなりハードルが高い。
サラリーマンの場合、会社員を続けながら選挙活動をしたり、当選後の公務にあたるのはなかなか難しい。
今の政治家の多くは、収入を心配しなくてもいい人たちだ。
昔はそれでよかったのだろう。
収入の心配をしなくてよい裕福な地元の名士が、その地域の代表として選出され、公務に集中して取り組んでくれたらそれでよかったのだ。
だけど、今はそんな状況じゃない。
まあ政党に関しては、政党交付金の交付を受けなくてもよいのなら作るのは自由だけど、そこからどうやって育てていくんだ、という話である。
日本の政治と選挙の仕組みは、お金とネットワークを持たない人たちにとって、とても参加しづらいものになっている。
本来は、この仕組み自体を変える必要があるように思う。
できることがあるような気がする
だけど黙っていては何も変わらない。
今の公職選挙法に沿って、合法的に氷河期世代の影響力を高める方法はあるように思う。
氷河期世代は、若い頃からインターネットになじんできた世代だ。
なんでもかんでもお金と人脈が必要な選挙において、インターネットだけは万人に開かれている。
氷河期世代や氷河期世代の問題に関心がある人たちがつながってインターネット上で大きな発言力を持つようになれば、それは選挙において十分な武器になるだろう。
その際、たとえば氷河期党のような「氷河期世代」だけを対象とした政党を作るのかどうかは検討が必要だろう。
氷河期世代は1700万人いると言われているから、仮にその1割が投票すれば、政党交付金の対象にだってなれる。
だけどその先、政党としての党勢を伸ばすには、他の世代からも支持される必要があるだろうから、「氷河期」を党名とするべきかどうかは慎重に考えたほうがいいのかもしれない。
いずれにしたって、できないわけじゃないと思う。
みんなそろそろ政治に目覚めてもいいのでは
60歳は政治に目覚める年齢、なんていう人もいるけど、ぼくら氷河期の場合は60歳で目覚めているようでは遅いのかもしれない。
実は今が、政治に目覚め、勉強をはじめ、お互いにつながり、行動を起こしていくタイミングなのかもしれないな、というような気がする。
少なくとも、Twitterで誰かを攻撃したり、自らの境遇を嘆いたりするよりは意味があるんじゃないだろうか。
できることから、はじめたい。