めっちゃ具合が悪いので、思ったこと。

この三週間ほど、ずっと余裕がなかった。

まずは仕事が急に忙しくなり、時間の余裕がなくなってきた。
でもこの段階ではまだ気持ちには多少の余裕があって、楽しいことを考えたり、家族との時間を大事にしたり、できていた。
そこに子どものことでちょっとした悩みが出てきて、ちょっと心の余裕があやしくなってきた。
それと同時に、職場でとてもイヤなことが起きた。
同じタイミングで、仕事に振り回されて、大切な友人たちと会うことができなくなって、ここでかなりダメージを受けた。
そのあとから急に体調が悪くなってきて、原因不明の頭痛が続き、仕事での集中力や持久力が、がくっと落ちた。
それでも無理に毎日のやるべきことに向き合っていて、だけど全然物事が前に進まない。

それで今、ようやく、あ、オレは具合が悪いんだ、と気づいた。

なんというか、そうわかったら気持ちが楽になった。
そうか、自分は具合が悪いから良いアイデアが出てこないし、不機嫌になるし、いつのもような力が湧いてこないんだ。
そう気づいたら、納得したし、急いで立て直さなきゃ、とあせることもなくなった。
具合が悪いんだから、ペースを落として、色んな人たちを頼って、回復するのをじっくり待つしかない。
まあ、なんとかなるだろう。

それで、これまでのことを振り返るに、体、心、人間関係、というのはたしかにそれぞれ関連しあっているような気がする。
今回の場合は、まず忙しくなって少し心が弱ってきたところに、仕事、家庭、友人といった人間関係にそれぞれダメージがあった。
そのあと、体まで不調になった。
そして、この中で一番の引き金になっているのは、人間関係の不調なのかなあと思う。

まあ、自分の経験を振り返るに、ほとんどの人生の悩みは人間関係に根差しているような気もするが、なんにせよ、毎日機嫌よく(そして最終的には良い体調で)暮らそうと思ったら、良好な人間関係の構築や維持に気を配る必要があるわけだ。
しかしまあ、これが簡単にできれば誰も悩まないわけで、だから人付き合いやコミュニケーションに関する本やら記事やらなにやらで世の中はあふれかえっているのだし、古今東西、人間関係の構築と維持に長けた人物が、この社会ではパワーを持ってきたわけである。

それじゃぼくのような凡人にはどうにもならないじゃないか、と思わなくもないが、それでも今までの人生をなんとか切り抜けてきたわけで、そのあたりに何かヒントはないだろうか。
と考えるに、ぼくの場合、人間関係に変に見返りを求めないほうがうまくいくような気がする。
これだけ役に立ったんだからとか、これだけ大事に育ててきたんだからとか、これだけ気を使ってきたんだからとか、そういう考えを持つようになると、どうもよくない方向に転んでいく。
それよりも、ああこの人と話せてよかったなあとか、一緒に時間をすごせてよかったなあとか、それだけでもう満たされているような付き合い方をするほうが長く、気持ちのいい関係でいられるような気がする。

雑念を払って目の前のことに集中することを、止観とかマインドフルネスとか言ったりするけれども、人間関係についても同じ態度が役立つかもしれない。
この人と付き合っていたらこんな得があるとか損があるとか、このあとこんな風に関係性を深めていきたいとか、妙に意識があっちこっちにいってる状態で人と接するのはとても疲れることである。
それよりも、この人と今一緒にいるこの時間に集中して、できるだけいい時間をすごす、そういう態度でいたほうが、結果はどうであれ納得いくように思う。

まあそのためには、自分をいいように見せようとしたり、有利な立場になろうとしたり、そういうつまらない雑念を捨てなきゃいけない。
ぼくが人間関係でうまくいってないときは、そういう雑念たちにとらわれているような気がする。
結局、人と接することも修行なのだ。
修行、というとなんか辛そうだけど、それはどちらかというと楽しいものだ。
苦行ではない。
どうやったらもっといい時間をすごせるか。
納得がいくものになるか。
それを色々と工夫して、試して、失敗したり、うまくいったりしながら、そのプロセスを味わっていく。

まあ、それを人は人生と呼ぶのだろうけれども。