自分が若い頃、年を取った人たちとどんな風に付き合っていたのかを思い出していた。
なんというか、今までは年を取った人への尊敬の念、といったものが貨幣のように流通し、それなりに機能していたような気がする。
当時は年を取れば誰でも管理職にはなれた。
専任部長とか、なんとかディレクターとかいう便利な肩書きがあって、実際は平社員と何も変わりはない仕事をしていても、なんとなく偉い人というイメージをまとうことができ、また、後輩たちにしょっちゅう食事をおごることができるぐらいの手当もついていた。
だからぼくらは、この先輩は訳あってラインからは外れているけど本当はすごい人なんだ、という尊敬の念を持つことができた。
また、本人も若い人たちから一目置かれているからにはちょっといいところを見せなくちゃ、と思ってがんばってかっこつけようとしていたようにも思う。
あと、長いあいだ同じ会社で働き続けることにも、良いことは色々あった気がする。
たとえば、ずっと同じ会社にいると、社内の人たちの性格や好き嫌い、得意不得意、趣味、人間関係など、深いところまで詳しくなる。
だから昔は、こういうことを知ってる人いない?と近くの人に聞くと、誰かがすぐに教えてくれた。
もちろん、それがまったく的外れな場合もけっこうあるのだけど、それでも何人かを中継しているうちにすぐにお目当ての情報にたどり着くことがほとんどだった。
それから、なんというか、性格が厚かましくなった気がする。
仕事をしているとどうしてもうまく嚙み合わなかったり、何かが原因でケンカしたりして遺恨が残ってしまう関係、というものができてしまう。
しかし同じ職場で働き続ける以上、気まずい関係の相手ともまたタッグを組まないといけない状況になる(おまけにそういう相手に限って、自分の仕事にとってすごく重要な役割を担っていたりするもんだ)。
ぼくははじめそういうのがとても苦手だったのだが、気がつくと、どれだけ大ゲンカしたことのある相手でも、仕事だもんなと深呼吸して気持ちを切り替え、満面の笑みで自分から近づきに行く。
そうすると、まあほとんどの人は、心の底では何を思っているかはわからないけれども、苦笑いしながら受け入れてくれることがほとんどだ。
そうやって、長いあいだ同じ職場にいつづけることで、ぼくの面の皮はどんどん分厚くなっていったし、まあそれはそんなに悪くないことのように感じる。
あとは、同じ会社にいると、とにかく色んな仕事をたらい回しにされるので、自分の会社がどのように動いているのかについても全体像が見えるようになるし、仕事に対して気が長くなったように思う。
若い頃は、何か目の前の壁にぶつかると、これを乗り越えられなかったら人生終わりだ、というぐらい思いつめていた。
今も、もちろん心中は穏やかでないものの、でもまあ長い目で見ればそのうち解決するだろうとか、解決しなかったとしても死にゃあせんしな、とかどこかで思っている。
たしかに若い頃と比べて、仕事の内容はめまぐるしく変わったけれども、根本的なことは同じだし、起こりうるトラブルや問題もけっこう似ている。
だから自分の置かれた状況を割と広い視野で見れている気がする。
というのも、仕事とまったく関係ないことだと、ぼくはすぐにトラブルに陥るとパニックになるし、焦って大声を出したり、やたらくよくよしたりするので。
やっぱり一つのことを長くやるのはそれなりに良いことはあるのだ。
書いているうちに、会社で長く働くことの良さを必死に主張するオワコン社員の叫びみたいになってきた。
まあそうだとしても、同じ会社で何十年も働くことはそんなに悪いことじゃないように思う。
どうも最近は社員は45歳までしか面倒を見れないとか、さっさと会社を出てスタートアップを作るべきとか、そういうことも言われているようだけど、その年齢に達するまで働いてきた人たちは本当にお荷物なのだろうか。
年を取った人はただ年を取っているというだけで尊敬され、仲の悪い人同士でもいざ仕事となれば作り笑顔で握手をするぐらいのタフさを持ち、トラブルや問題に出くわした時には年長者が、大丈夫、なんとかなるさとニヤっと笑うだけで若い人たちがほっと胸をなでおろせる。
そういう職場は不要なのだろうか。
もちろん、必要だと確信して書いているのだけれども。