どっちが得して、どっちが損したか。

今日は、遠くからわざわざ会いに来てくれた人がいて、うれしかった。

昔、ある会社の社長が「向こうから連絡してくるやつ、会いたいと行ってくるやつにロクなやつはおらん」と言っていて、なるほど社長ともなるとそういうものなのかなあと思ったのを覚えている。
だが、ぼくはサラリーマンなので、向こうからわざわざ会いに来てくれる人は少ない。
だから、やっぱりうれしいものである。

ぼくは、ギブアンドテイクのバランスを考えたりするのがすごく苦手だ。
なんとなくこっちのほうが損してる気がするとか、逆に得しすぎているとか、そういう感覚はあるけど、きっちりと貸借対照表を作ることができない。
一方的に助けてもらってばかりの人もいるし、その逆の人もいるんだけど、だからといってどっちが大事とか、どっちが優先とかいうのもあまりない。
いつも助けてもらっている人に対しては、ひたすら背中に手を合わせて感謝し、尊敬の念を送る。
こっちが助けてやってばかりの人に対しては、その背中を押して、さあがんばってきて、とエールを送る。
そんなに違いがないような気がするのだが、まあぼくの中の何かの計量器が壊れてしまっているのかもしれない。

いずれにしたって、そういう付き合いをしていると、自然と離れていく人もたくさんいるし、それでもなぜかご縁が続く人もいる。
遠くからわざわざ会いに来てくれる人もいる。
まったくもって恵まれている。

なんというか、ぼくは人間関係というのはうまくいかないことが前提だと思っている節がある。
誰かと知り合っても、まあうまくご縁があってお付き合いが続くといいけれども、基本的には難しいよな、とどこかで思っている。
だからといって努力しない、ということではない。
うまくいかないことを前提に、だけどできるだけお互いが仲良くなれるように努力する。
それでも無理な時は、それ以上無理しない。
基本姿勢はそんな感じ。
まあ、多くの人がそうかもしれないけど。

ただ、そういう態度を取り続けている中で、あ、なんだかんだ、この人とは長くお付き合いし続けられているな、と思えたときはちょっと別だ。
この関係をできることなら、細々でもいいので、続けていきたい、と願うようになる。
そう願えば願うほど、関係性が壊れてしまったときに自分が傷つくリスクは高まる。
で、そのリスクを背負ってでも、このご縁が続くことを強く願っているとき。
それはもうファイナンスではなく、情の世界である。
とまあここまで書いてみると、ぼくはなかなか繊細な人間なのかもしれないと思ったりする。
なんだかんだいって、傷つくのが怖いのだ。

でもまあそれでいいじゃないか、と開き直ってみる。
傷つくのは怖いことだし、ダメージを受けると回復には時間がかかるし、それを避けようとすることも必要だし、それでもどうにもならない状況になることだってある。
それが人生じゃないか、とやせ我慢をしてみる。

サラリーマンとしてはダメなことなんだどうけど、どっちが得したか、損したか、という冷静な議論も大事かもしれないけど、ぼくは傷ついたとか、ショックだとか、そういう部分の共有をすることがもっとおおっぴらにやれたらな、と思ったりする。
貨幣に換算することは便利な方法だし、色んな場面で役立つ。
だけど、ぼくは貨幣のために生きているわけではない。
ぼくは、ぼくの感情を大切にしていきたい。

友だちが会いに来てくれてうれしい。
なかなか、このことに値段はつけられないんじゃないかなあ。