どこまでいけば、友だちになれますか。

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友だちをどう作るのか、という話題について。

たしかに年を取ると友だちが作りづらいかも…と思ったけど、よく考えると、もともとあまり友だちがいない。

 

そもそも、ぼくはとても自己中心的な人間なので、気の合う人がほとんどいない。

いるとしたら、そんなぼくでもやさしく手を差し伸べてくれる、とても心に余裕のある人なので、そういう人はだいたい人気者だし忙しい。

だからあまり深く付き合うところまではいかないので、この人は友だちです、とはっきり言えるのかどうかわからず、ああやっぱりオレには友だちはほとんどいないな…となる。

 

そもそも、どこまでいけば「友だち」なのだろう。

一緒にごはんに行ったら友だち?

お酒を飲んだら友だち?

映画を観に行ったら友だち?

タメ口で話せるようになったら友だち?

一緒にお泊りしたら友だち?

退屈なときに雑談に付き合ってもらったら友だち?

困ったときに相談できるのが友だち?

お互いに気を使わなくていいのが友だち?

一度はケンカしないと友だちじゃない?

それとも、この関係が続くことを疑わなくなったら友だちなの?

ねえ、ぼくたちって本当に友だちなの?

どうなの?

みたいな感じになってしまって、とても難しい。

 

周りを見ていると、同じ会社の人同士でとても仲良くランチに出かけたり、飲みに行ったり、ゴルフをしたりしている人たちがいて、なんというか、本当に楽しそうにしている。

まるで肩を組んだり、手をつないでいても、そんなに違和感をおぼえなさそうなほど。

いや、他人事のように言っているけど、ぼくだって仕事がからめばそういうモードになっている気がしていて、だけどそれはあくまで仕事であり、仕事だからこそ相手に気を使い、相手に敬意を払い、機嫌を損ねないように注意深くふるまい、そのうえで本音もぶつけるし、多少は感情的になることもゆるしあうことができる。

…というのをそのまま仕事以外の関係性についても応用すればいいだけなのかもしれない。

親しき中にも礼儀ありというフレーズがいつもこの手の話になると出てくるが、これは逆である。

礼儀ある中にも親しさあり。

まずは相手を大事にして、その上でお互いに心をゆるしあう。

この手順のほうがうまくいくような気がする。

 

と、ここまで書いていて、「いや、そんな面倒な関係はイヤなんだ!オレのありのままを受け入れてくれるような友だちがほしいんだ!」という気持ちもふっと浮き上がってきたのだけど、それはやっぱり難しいように思う。

自分だけがありのままでいられる関係というのは明らかに相手に負担をかけているわけだし、相手もありのままで、自分もありのままで、それでぴったりと合うような間柄というのはちょっと奇跡的なのじゃないだろうか。

実際はそれに近いような関係性というのはあるのかもしれないけど、やっぱりそれだけじゃ足りなくて、そこの間をお互いが努力して埋め合っているように思う。

つまり、ある程度の譲歩、それなりの努力、ちゃんとした敬意なしに友だちを作るというのは、なかなかどうして難しいような気がする。

 

だからこそ、ぼくらは「ここにはいないどこかにいる理想の友だち」を探し求めるよりも、近くにいる「一緒にいて不快じゃないし、楽しいとも思うけど、それなりに気を使わないといけなくて、ちょっと面倒だなと思う人」に目を向けたほうが、いいことがあるような気がする。

というか、人生のだいたいのことはそんな感じのような気がする。