中年の危機を乗り越えて、あらためて思うこと。

30代後半の頃。
あれほど、人生について悩み続けていた時期はなかった。

今になって振り返れば、30代という体力も気力も十分に残っている時期に、なんであんなに悶々と悩んで身動きが取れなかったのかと思うと、ちょっと惜しいことをしたなあとも思う。
思うけれども、しかしあれだけ悶々としてきたおかげで、今は余計なことを考えずに残りの人生を全うしようと思えるのだから、まあ仕方ないのだろう。

それにしても、なんであんなに悩んでいたのか、その真っ最中では冷静に考えられなかったけれど、今ならちょっとはわかるかもしれない。

●力を持て余していた
これは本当に、とてももったいないことなのだが、ぼくは明らかに当時、自分の力をどこに向ければいいのか、完全に見失っていたと思う。
一番の原因は、ずっと憧れていて、時間をかけてようやくたどりつけた広告クリエイティブの仕事から外されてしまったことだろう。
外されたからといって他にやることがなかったわけではないのだが、なんというか、力が入らなかった。
異動した先の仕事は、はっきり言って、クリエイティブの仕事よりも楽だった。
クリエイティブの仕事は、毎回が真剣勝負だった。
このコピーでいいのか、このシーンでいいのか、この音楽でいいのか、ギリギリまで考え続けていた。
異動先では、そこまでこだわるような働き方をしなかった。
だから、余った情熱をどこに向けていいのかよくわからなかった。
ただひたすらモヤモヤしていた。

●子どもが生まれた
これも人生を大きく変えたできごとだ。
子育てはとても面白く楽しいものだったが、同時に、仕事と簡単に両立できるようなものでもなかった。
はっきりいって、仕事のほうがずっと楽だった。
子どもができてからは、週末に長時間寝だめをしたり、平日にためていた企画をじっくり考えなおしたりすることができなくなった。
ちょうどその頃、業界自体が過渡期を迎えていて、みんな新しい知見やスキルを身につけなければと危機感を覚えていた。
同年代の人たちが週末に色んなセミナーに行ったり、大学院に通い始めたりしていて、その様子を見聞きするたびに、ものすごい焦燥感があった。
子どもとの時間はとてもゆっくりとしていて、こんなことをしている間に他のヤツらは…とめちゃくちゃ焦っていた。
結果的には、ちゃんと子育てに関わらせてもらえて本当によかったと思うが、その時はそんなことはまったくわかっていなかった。

●他人任せの人生だった
これが一番大きいんだと思う。
結局、これまで「いい大学に入ればなんとかなる」「大きい会社に就職すればなんとかなる」「クリエイティブの仕事に異動できればなんとかなる」という感じで、いつも何かに乗っかればなんとかなると思い続けてきた人生だったのだ。
それが、レールからはじきとばされて、別のレールに乗らせられて、どんどん行きたかった場所から離れていって、しかし自分では何をしていいかわからない。
そんな状態の中で、それでもまだ「大学院に行けばなんとかなるのではないか」とか、他人の作ったレールに期待してしまっていた。
だが、待てども待てども、次の列車はやってこない。
時間だけがどんどん過ぎていく。
そんな状態が続いていたのが、あの頃の真相なのだと思う。

●どうやったら抜け出せるのか
さて、こうやって身動きできなくなってしまった状態から、どうやったら抜け出すことができるのだろう。
これからも、似たような事態に陥る可能性もあるし、今あらためて書き残しておきたい。

一番の原因は「自分以外の何かに過剰に期待する」ということにあるのだから、まずそれをやめたほうがいいのだろう。
あと、何か近道のようなものを探そうとする、というのもやめたほうがいいだろう。
非効率に見えても、カッコ悪くても、しんどくても、まずは自分の足で歩いてみる。
そして、自分が本当はどこへ行きたいのかを、ウロウロしながら、じっくりと考えることが役立つのだと思う。

あと、自分自身の変化を受け入れる、ということも役に立つだろう。
ぼくの場合、広告クリエイターという花形の仕事から、脇役の仕事に移されてしまって、それを受け入れることができなかった。
また、子育てを通して、所帯じみた、かっこわるい、どこにでもよくいるただの親になっていくことも、すぐには受け入れることができなかった。
そして、気力や体力が落ちていって、中年になっていくことも、簡単に受け入れられるものではなかった。
だけど、そういったことたちを受け入れていくプロセスで、ぼくは自分のことをもっと好きになることができたと思う。
今の自分は、若いころよりも、ずっと自分らしいと思える。
人間は変わっていくものだ。
その変化を受け入れて、楽しんでいくと、色んなことがうまくいくようになると感じる。

そして、そういうことを総合的に考えると「もっと人生を自由にとらえたらいい」ということに尽きるのかもしれない。
あの頃のぼくは、人生とはこういうものだ、キャリアとはこういうものだ、という思いこみがすごく強かった。
しかも、そのイメージは自分が作ったものではなく、世の中や他人が作ったものにすぎないのに。
気づかないうちに、職場を中心とした周りの価値観から、大きな影響を受けてしまっていた。
もちろん、そういった影響から完全に自由になることはできない。
むしろ、影響を受けている、ということはちゃんと受け入れたらいいと思う。
そのうえで、もっと自由に物事をとらえて、もっと自由に色んなことを試せばよかったのだと今は思う。

もちろん、今だって完全に自由なわけじゃない。
色んな人たちから影響を受けているし、色んなしがらみもあるし、色んな事にとらわれている。
でも、そういったこと自体を受け入れることができている。
不自由な部分も含めて、これは自分の人生だと思える。
苦さや辛さも多少はないと、人生のおいしさは十分に味わえないんじゃないかと思える。

これからも、また壁にぶつかって、身動きが取れなくなる時がやってくるかもしれない。
その時のためにも、覚えておきたい。
ぼくは十分に自由なんだと。