アドレナリンを、あなどるな。

今日は朝から合気道の稽古があって、子どもが先に道場に向かったのを自転車で追いかけているあいだに、ふと、最近は色々とやることがありすぎて大変だが、子育てが終わったら誰にも相手にされなくなるのかなあとか考えごとをしていたら、まちがった道を進んでいることに気づいてちょっとびっくりした。
もともと、ぼくはぼーっとしているので、電車に乗るときも反対向きの電車に乗ってしまったりするから、そんなに驚くことでもないのだが、ちょっと疲れているのかもしれない。
疲れていても、稽古中はアドレナリンが出ているのか、体はよく動く。動く動くと調子に乗っていたら、難しい技の受け身を取りそこなって足を痛めた。それもアドレナリンのせいなのか、痛めたときはそこまで気にならなかったのだが、帰宅したらひどく痛くなってきて、先月ケガをしたのと同じ側の足だったので、ちょっとうんざりした。
うんざりするといえば、今週は三日間、東京に出張していたが、予定がぎゅうぎゅう詰めで全く運動をする余裕がなく、大阪に帰ってきてからもそのままトレーニングをせずにすごしたせいで、かなり体力が落ちている。そのせいでケガをしたのかもしれない。結局、余裕のないスケジュールを組んでいることがすべての問題なのだろう。

それでちょっと思ったのだが、スケジュールを組んでいるときには、そのスケジュールの中のどの部分でたくさんアドレナリンが分泌されているかまでは考えていない。
どの時間も同じくらいの集中力や興奮の度合いで行動することを前提にして予定を立てている。
でも実際は一日の中でのそれらは時と場合によって全然違う。
合気道の稽古をしているときや、ワークショップを運営しているときや、ぐっと集中してアイデアを考えているときは、かなりアドレナリンを使いこむので、短い時間でも欲しい成果が得られやすいし、一方でぐったりと疲れてしまう。
予定表を見る限りは余裕があったはずなのに妙に疲れている日は、ひょっとしたらそういう時間が長かった日なのかもしれない。

まあいずれにしても、スケジュール表では同じ一時間の枠であっても、まったく違う時間をぼくはすごしているわけで、そんなことはわざわざ考えなくても知っていたはずなのだだが、気がつくと自分自身をエクセルの小さな枠におしこめようとしている。もっと自由に、色んなものをドバドバと分泌しながら暮らしたいものだと思う。