努力は、嫌いじゃない。

・ここのところ、神経を使う仕事が続いているせいか、子どもを寝かしていたら自分が寝てしまって、真夜中に目が覚めた。そのままもう一度寝てしまえばよかったのだが、なんとなくぼんやりと起きていて、ふと、一人ぼっちだなと感じた。妻も子どもたちも眠っていて、ぼくだけが起きている世界はなんとなく虚ろで、やるべきことも見当たらず、狭くて色彩のない世界だった。そういえば若い頃は、こういう感覚の中ですごすことも多かったな、とも思った。

・若い頃は一人の時間が一番好きで、他人とあまり長い時間一緒にいるとぐったり疲れてしまった。でも今は誰かと一緒に暮らしていることがすっかり当たり前になって、ふと一人だけの時間が訪れても、そんなにうれしくもないし、孤独を強く感じるようになったような気がする。また、最近は一人でリモートワークをする日が続いているので、ある意味、一人の時間が十分に満たされているからかもしれない。リモートワークとはいえ、Zoomやチャットやメールや電話で、色んな人たちと、かなりの量のやりとりをしている。でも、なんというか、あまり心が通ったコミュニケーションができていないのかもしれない。とにかく、ぼくは自分が思っていたよりも一人ですごすことが得意ではないみたいだ。

・話は変わるが、人生は苦しいものととらえるか、楽しいものととらえるか、どっちがいいのだろう、とふと思った。ぼくの場合は、人生というのは基本的に大変苦しいものであるが、時には楽しいこともある、というような感じが自分には合うのかなあと思う。苦しいこと自体が好きだというわけではないが、辛いのをちょっとがまんして自分の意志で努力し続ける、とい感じは嫌いじゃない。努力する、ということ自体は好きなのだと思う。以前、ブログにも書いたが、努力をするときに気をつけないといけないのは、努力の見返りがある、と考えてしまうことだと思う。特に、その見返りを与えてくれるのが他者である場合は要注意だ。それよりも、ぼくが努力していることを一番よくわかっているのはぼく自身なのだから、自分で自分をほめてあげればそれでよい。もっと言えば、努力した報酬は、努力をした時点ですでに与えられている。それ以上のことを望むのはちょっとやりすぎというものだろう。自分で勝手にする努力は、楽しい。

・今日はあまりトレーニングをする余裕はなかったが、夜に剣を振る時間が作れたのでよかった。雲に覆われた月が出ていて、それでもけっこう明るかった。