いま、大切にしたいこと。



自分にしか興味がなかった。



なかった、と過去形にしてカッコつけたけど、それは今でも変わらない。
自分は周りからどう思われているか、自分は今気持ちよく仕事しているか、自分はどうすればもっと良い人生を送ることができるか。
そればっかり考え続けている。

コピーライターの修行をしていたときに教わったのは、広告賞が欲しければ自分の世界を創れ、自分だけの視点を増やせ、ということだった。
これは自分が大好きなぼくとしてはすんなり受け入れられる教えで、はじめこそ自分の世界ってなんだろう、と思ったけれども、試行錯誤しているうちにだんだんわかってきた。
それはカッコいいことでもなんでもなく、自分の恥ずかしいところや嫉妬心や欲望を隠さずにさらけ出すことだった。
自分をさらけ出して企画をするようになってから、突然、賞ももらえるようになったし、クリエイティブディレクターに案を採用してもらえるようになった。
そのときは、オレの時代が来た!と思ったのだが、本当はそんなすごいことでもなんでもない。

一人の人間が心を開き、その人間の経験やこだわりやねじまがった根性やモヤモヤした感情をさらけ出すことで、これまで他の人が気づかなかったり、見て見ぬふりをしていたものが見えてくる。
すると、そうなんだよね、オレもほんとはそう思っていたんだよね、とか、うわ、こいつバカだなあ、でもその気持ちはわからんでもないなあ、とか、そうやって他の人もピクリと反応する。
その反応の連鎖が新しい動きを生み、新しい流れを生み出していく。

だから、一人ひとりが自分だけのものの感じ方をして、自分だけの感情を持って、自分だけの葛藤をすること。
そして、そういう人間のあり方を全力で肯定しあうこと。
それが、創造には必要なのだと思う。

誰もが同じ価値観を持つこと、同じものの感じ方をすること、そして同じ判断をし、同じ行動をすることが良いとされる世界では、きっと創造は起こらない。
きっと、創造が起こらなくてもすぐには困らないだろう。
その代わりに、他でうまくいってることをそっくりそのままマネすればいい。
誰もが同じように動く世界なら、マネをする対象さえ見つかれば、一気に追いつき、量やスピードでオリジナルを超えることができるだろう。

どっちがいいとか、どっちが悪いとかはわからない。
ただ、すっかり事態が停滞していて、その原因がよくわからなくて、少しずつ気力が失われていくような状況にあるとき。
あるいは、このまま同じことを続けていても何も変わらない気がして、自分の中の何か大事なものがちょっとずつ消えていくような気がするとき。
そこには創造が必要だと思う。

一人ひとりが自分の抱いている違和感や、不自然さや、恥ずかしい欲望や、漠然とした不安をさらけ出し、あ、それ実はオレもそうだったんだよねと声をかけ、それじゃ一体全体どうするよと一緒に考え始めることが、必要だと思う。

その場にいる人間が、その場で強く停滞を感じ、身動きがとれなくなっている人間が、同じようにもがいている人間と、手に手を取って、力を合わせて、「思考停止」とか「思い込み」とか「読まなければいけない空気」とか書かれた分厚い壁をぶっこわす。

それが、いま、ぼくが大切にしたいことだ。