ぼくの周りには、何人か「副業」を持っている人がいる。
そういう人たちは、本業も決して手を抜いているわけではない。
手を抜いているわけではないが、しかし全力を尽くしているわけでもない。
ある人に、副業でうまくいくコツは何かと聞いたら、本業を面白いと思わないことだと教えてくれた。
これは割と真実だと思う。
本業も、副業も、どちらも最高!というような状況はなかなか作りにくいのだろう。
なぜなら人間は一度にいくつものできごとに執着しにくい生き物のように思えるからだ。
執着というのは、ちょっとした興味とか好奇心とか、そういうものとは全く別のもの、あるいは真逆のものだ。
マラソンに興味があるんだよねとか、陶芸に関心があってさとか、そういう前向きなエネルギーではなく、そのつもりはなくてもついそのことについて考えてしまう、気がつくとそればっかりやってしまっている、そういう状態を指す。
ぼくが見ている限りでは、副業がうまくいっている人も、本業がうまくいっている人も、どっちもその仕事に異常に執着していて、そのことばかりを考えているのである。
副業も本業も、いずれも「業」である。
「ごう」と読めば、不合理であることがわかっているのについやってしまう行為となる。
いくら合理的であることにこだわっていても、効率を追求していても、そのこと自体にとらわれている限りは、それは「ごう」なのである。
それでも、ぼくらが自分のやっていることに夢中になりたければ、「ぎょう」ではなく「ごう」を選ぶべきなのだろう。
さて、ぼく自身はどうなのかなと思うと、創造性、というずっと執着しているテーマがあるのだけれど、それは本業とか副業とかの区別があまりなくて、極端に言えば何をしてようと、どこにいようと関係ない。
関係ないからいつもモヤモヤしてるんだろなあと思ったし、しかしそれが自分の「ごう」なのだと思うと、意外と気持ちが軽くなる。
ぼくらはどうせ、何かから逃れられない運命にあるのだとしたら、それを自分の原動力だと受け入れて、精一杯楽しむほうがかしこいように思った。
以上は、この記事を読んで思ったこと。