やらないことを、増やしていく。





ここのところ、すごい人たちに出会う回数があまりに多く、自分のできることなんて本当にかぎられているなあと思うことばかりだった。



ただ、ぼくが感じた「すごい人たち」というのはみんな共通していることがあって、彼らはいつも何か具体的なことを目的として持っていて、それを果たすために全力を尽くしている。

ぼんやりと人の役に立ちたいとか面白いことがしたいとか世界平和に貢献したいとか、まあそういうことも最終的には考えているのだろうけれども、当面やると決めていることがあって、それはこのイベントを成功させるんだとかこの作品を完成させるんだとかこの交渉を成立させるんだとか、とても具体的で、かついい感じに困難で、しかしいい感じに達成できそうな、いい頃合いの標的を持っているのである。

で、それを達成するために何をやればいいかを一日中考えていて、夜中に急に大事なことを思いついて動き始めたり、もう納品は終わっているのにやっぱり修正したいとか言い出したり、周りがもう絶賛しているのにまだまだ途中段階だとか思っている。

さて、この人たちは本当に「すごい人たち」だのだろうか。

たぶん、ちがう。

彼らは自分のやっていることに対する執着心が異常に強いだけなのだ。

もっといえば、自分がぎりぎり達成できそうな、いい感じに執着できるものを見つけることに長けているのだ。

簡単すぎればつまらないし、難しすぎればどこから手をつけていいかわからない、ちょうどいい感じの頃合いを知っているように見える。

あるいは、あまりに簡単なものしか手元にない場合は、その高さをちょっとずらして、手ごたえのあるテーマに変えてしまったりする。

そうやって、彼らはいつも何かの目的を果たすことにこだわり、これはどうだ、これならどうだ、これがだめならこっちでどうだ、とずっと躍起になって取り組み続けているのである。



さて自分はどうかといえば、多少は執着していることもあるけれど、こっちの話もいいな、あっちの話も面白いな、などと気が多くて、まあ気晴らしはうまくできているのかもしれないけれど、そのせいで自分が心から納得できるような成果を挙げられていないように思う。

ぼくはもうこの年なので「すごい人たち」の一員になりたいとも思わないけれども、しかし年を取っているぶん、もっと自分の欲望の声を素直に聞いて、そいつがちゃんと成就されるようにしてやらなきゃな、と思う。

で、そのためには、やらないことを増やしていくことが大事なんじゃないかな、と思っている。

生きていると、どんどん、あれもやっておいたほうがいいんじゃないか、これもやらなきゃいけないんじゃないかと気になることばかりが増えてくるけれど、本当に自分がやりたい(それはやりたい、でもやらなければいけない、でもこの際どっちでもいい)ことだけに照準を当てて、他のことを思い切ってあきらめる。

そうしたほうが、色々なことがスッキリするんじゃないかなあという気がしている。



スッキリという表現があっているのかどうか、よくわからないけれども。