当たり前だが、広告コンテンツを盛り上げるために、クリエイターは色々と工夫をする。
いきなりタレントやアーティストや音楽などの「客寄せ」に頼るのは邪道で、
だいたいは、紹介する商品やサービスや人の中にある個性を手がかりにして、
表現アイデアをはばたかせていくのが基本だ。
しかし、多くの先達がさまざまな工夫を行ってきた結果、
かなりの数のコンテンツ類型というものが残っているし、
その中のいくつもが今でも普通に通用してしまう。
放送作家の先輩と話をしていると、テレビ番組の世界でも同じらしく
視聴率を取るための勝ちパターンみたいなのがだいたい確立されていて、
それを繰り返しながら、ちょっとずつアレンジしていくのが定石中の定石らしい。
もちろん、それに頼りすぎた結果、ワンパターンのコンテンツが
増殖してしまったのは、広告もテレビも同じである。
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それから先輩と僕とで、思いつく限りの「過去の勝ちパターン」を数えてみたら
だいたい以下のようなものに集約された。
もちろん他にもいくつか類型はあると思うし、
この手の話はいろんな本にも書かれているので
簡単に挙げるだけにするけど、
・戦わせる
・暴露する
・怒らせる
・怖がらせる
・順位づけする
・食欲を刺激する
・性欲を刺激する
・足りないと感じさせる
・繰り返して刷り込む
・人に教えたいと思わせる
こうやって見ていくと、どれも
人間のドロドロとした欲求を刺激する内容ばかりだ。
テレビ番組も広告も、見たいと思って見られているわけではないことが多いので
あの手この手で、無理やりに関心をひきつけようとするから
結果的に、理性ではなく本能に近い部分を狙おうとするわけだ。
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さて、これらの手法に依存すると、一時的には注目を集められるが
結果的には余計に「テレビ離れ」「広告嫌い」が増えていくのは周知の事実。
また、コンテンツも短命になっていくから、クリエイターも育ちにくくなる。
だからこそ僕は色々と悩むわけだが、今日はその話をするつもりはない。
僕が言いたいのは、メディアを使って「多くの人を集める」ためには
こういう旧型の手法もまだ生き残っているが、
それは単なる装置にすぎない、ということだ。
芸能人が離婚したという話も、業界人しか知らない秘密のレストランのランキングも、
人々の興味をひきつけて、こちらへと来させるための技術と仕組みでしかない。
それは、「それ」でしかない。
毎日同じ通勤電車に揺られて、仕事場へ向かい、いつもと同じように働いて、へとへとになって帰宅する。
そういう日常の中では、どうすればいつも上機嫌でいられるかとか、
周りの人も機嫌よくできるかとか、そっちのほうが僕にとってはずっと重要なのである。
アイデアを考えていると、つい、アイデア自体に飲み込まれそうになる。
しかし、アイデアを生み出したい時に大切なのは
より楽しいアイデアを思いつくための、とびっきりの機嫌の良さであり、
また、悲しい時や腹が立つ時も含めて、寄せては引いていく感情の波の中に
すべてをあずけながら、少しずつ進んでいこうとする姿勢である。
しかし、運よく(あるいは運悪く)ひらめきの快感が長く続くと
感覚がマヒしてしまい、本能の海に流されて溺れそうになるので
自分への警告として、ここに書いておこうと思う。