すべての人は好きなことを仕事にするべきだと思っている。
理由は簡単で、そうじゃないと自分の身を自分で守ることができないからだ。
好きでもない仕事を続けていれば必ずミスをしたり、生産性を落としたり、思考停止に陥って、他の、今は大して才能やセンスはないけれど、しかしその仕事が好きでたまらない人たちの参入を許し、駆逐され、退場しなければいけなくなるからだ。
好き、というとひどくゆるふわな概念のようだけれども、しかしそれだけがこの不安定で、見通しが立たない、みんなが笑顔の下でどつき合っている世界の中で、頼りにできる唯一の武器なのだ。
好きだからこそ、ミスしてたまるかと集中力が高まり、好きだからこそ、もうちょっとマシな仕事にはならんかと工夫ができ、好きだからこそ、自分の子どもかのようにその仕事を大事に育てようとする。
それをやりがい搾取というのは間違っていて、本当のやりがいというのは、それを自分で決め、自分で取り組んだ先にしか得られないものだ。
もっと言えば、ぼくの言ってる好きは生半可な好きじゃなくて、あとの色んなものは置いといて、あるいは家族とか命とかそういう当たり前の話は別として、しかしやっぱりこれだけは譲れない、そういう強烈な好き、あるいは業とか執着とかそういう、忘れたくても忘れられない、捨てたくても捨てられないもののことだ。
だからこそ他の人が思いもよらない執念のような成果がもたらされるのだ。
きれいごとなんかいらない。
好きを武器に戦い、殴り合い、出しぬきあい、奪いあおう。
だが負けたって大丈夫、この世界は、また新たな好きを支えにして這い上がってくる人間に、びっくりするぐらい寛容だ。
なぜか?
簡単だ。
みんな期待しているのだ。
この世界がたくさんの人の好きで満たされる、ワクワクしたものになることを。