読まないこととか、読むこととか。

最近、一つのことについて深めていくような書き方をする気になれないので、今日も箇条書き。

・親しい同僚から、いぬじんさんは最近すっかり言うことが変わったと言われた。目の前の目標や具体的な活動についてばかり話すようになったらしい。これまでのぼくは、一歩引いた立場から物事を客観的に見て、色んな可能性を考えたり、それを実現するための手順を丁寧に提示するような感じだったが、全然そんな感じじゃなくなったそうだ。で、それは悪いことだとは思わなくて、プロジェクトを責任を持って進める人間として必要な態度だとは思うが、そのせいで視野が狭くなることもあるだろうから、中長期的に目指す方向性について見失わないように気を付けてくださいね、とも言ってくれた。なんというか、そういうことをはっきり言ってくれる人が近くにいるだけで、ぼくはとても恵まれていると思う。物事を前に進めようとするときに異議を唱えられたり、大前提について「そもそも…」と蒸し返されたりすると、ついイライラしてしまうが、相手も真剣に向き合ってくれているからこそ、そういうやりとりが生まれる。で、そういうときは、面倒でも立ち止まってちゃんと検証したほうがいいことがほとんどだ。そういう関係性というのは本来なかなか簡単には育たないのだが、普段の仕事を通して自然とそれが構築されていくという面で、会社という場はとてもありがたいなあと感じる。

・とにかくぼくは2021年以降、これまでとは全く違う自分を生きていると勝手に思っていて、それは誰がどう思おうが気にせずに突き通そうと思っているのだが、少なくとも一人からは変わったと言われたので、ちょっとうれしかった。別に、他の人に気づいてほしくてやっているわけではなくても、やっぱり励みになる。学生の頃、よく高校デビューとか大学デビューとかいう言葉を聞いたなと思う。たしかに、これまでの自分のことを知らない人ばかりの環境に飛びこむと、デビューというか、新しい自分をはじめやすい。人間関係をリセットするというとちょっと不穏な感じだが、それはそれで必要な場面があるのだろう。ところがぼくの場合、同じ会社で何十年と仕事をしてきているので、リセットするのはなかなか難しい。もうすっかりぼくという人間のイメージは定着してしまっているに違いない。それを無視して、新しい自分を生きる、というのは割と無理筋に近いのかもしれない。ただ、ぼくには一つ武器があって、それは「空気を読めない」というものである。本当はかなり鈍感で、神経が図太い人間なのだ。ただ、それはあまり普段の仕事で役立つことがなかったのだが、生かすとしたら今かな、と思う。図太くやっていく。

・上の子が最近、太宰治谷崎潤一郎の小説を読んでいて、なんというかすごいなと思う。ぼくはそのあたりのいわゆる文豪たちにはほとんど触れないままやってきたので、教えてもらうばかりだ。今日も、知らない作家の本を読んでいて、ちょっと読ませてもらったがひどく重い内容で、面白かったがどっと疲れた。すごい。

・昔の人でいうと、内田百閒は好きで、何度も読む。怖いやつも好きだが、随筆や日記はもっと好きだ。いや、作品が好きというよりも、ぼくはこの内田百閒という人自体が好きなのだと思う。遊び心があって、自分の気持ちに素直で、少年のようにわがままで、とにかく魅力的なおじさんなのである。こんなおじさんになりたい。

・子どもたちとAIやロボットにできないことは何か、という話をしていて、結論としてはそんなものはほとんどないかもしれない、ということになった。下の子は発明家になりたいらしいので色んなアイデアを出していた。が、どれもそのうち実現できそうなことばかりで、上の子が生殖、と言って、なるほど、という感じになったが、でも複製を作ったりするのも生殖に当てはまるならそれもできるよね、となった。今考えると、AIやロボットが、そういう会話を何の目的もなしにやって楽しむ、ということができるようになるにはもうちょっと時間がかかりそうな気がする。

・いつまでこういう話を一緒にできるのだろうか、なんて思ったりする。ただまあ考えていても仕方ないので、今を精一杯楽しむことにする。

・今日も仕事の合間にちょっとだけトレーニングをした。