これからは、何の時代なのか。

・fktackさん(id:fktack)からトラックバックをもらったので、何かちょっとだけ書こうかなという気になった。
fktack.hatenablog.jp

トラックバックという言葉は今、わざと使った。ぼくは、はてなダイアリーではなく、はてなブログになってから入植してきた「はてなニュータウン」の人間なので、「はてな村」をほとんど知らない。ただ、はてなダイアリーを書いている人たちは頻繁にトラックバックとか、トラバとか言ってて、何のことかなと思っていた。はてなブログでは「言及」と言われているような気がする。気がするというよりも、ぼくはそう言っている。当時は、言葉づかいにすごくこだわりがあって、トラックバックなんて言っても誰もわからないし、トラックバックした本人も自分が「トラックバックした」と思っていない可能性があるので、誰にでもわかるよううに「言及」と言うことにしていた。なぜなら、はてなブログから「言及されました」という通知が来るからである。ただ、言及という言葉もあまりにも固いし、あと「何かのついでにちょっと触れておいたぜ」というようなそっけない感じもある。もちろんそういう場合もあるが、相手の文章に対して割と正面から返していくこともあるので、「お返事」とか「やりとり」とか、そういうほうがいいのかもしれないとか、色々と悩みながら言葉を選んでいたように思う。

・言葉の選びかただけでなく、ぼくはすごく「自分らしさ」ということにこだわっていた時期が長かった。もちろん今もとても大事にしているが、年を取るとイヤでも自分らしくなってしまうような気がする。ただそれは若いころに望んでいた自分らしさとはかけ離れていたりするので、良いとか悪いとかそういうものでもない。fktackさんのエントリ(という言葉も今わざと使った)のタイトルにあるような「一貫性」というのも似ていて、若い頃は一貫性のない大人をバカにしていたが、実はそういう人でも、長い人生で見ると一貫性があるように思う。本当かどうかは知らないが、坂本龍馬は会うたびに、これからは短い刀の時代だ、これからはピストルの時代だ、これからは万国公法の時代だとか、言うことがどんどん変わっていったという話があるが、この節操のない感じのエピソードに対して以前は嫌悪感を抱いていた。しかし今考えてみると、龍馬という人はなんて一貫性のある人間なんだと思ったりする。面白いもんだ。

・今日は家族によいことがあって、めでたい気持ちでいっぱいだ。自分のことのようにうれしい、と書いてみて、ちょっと違う気がした。「自分のことのように」ではなく「自分のこととしてうれしい」と言うほうが正確な気がする。別に、家族と自分は一心同体だから、とかそんな意味ではない。ただ、自分がうれしい。

・今日は忙しかったり、外出したりで十分にトレーニングはできなかったが、それなりによく歩いたので、よしとする。