嫌いな仕事を、好きな仕事へと変える。



ぼくの持論は「人間は好きなことを仕事にするべきだ」であって、それは今も何も変わらない。



しかしその好きなことというのは当然ながら辛いこともあるし、むしろ好きなことだからこそ、余計に苦しい経験や悲しい思いもすることがある。

ずっと憧れていた仕事をいざ始めてみたら、実はとんでもなく厳しい世界だったり、そこでの人間関係もひどくギスギスしていたり、あるいは古い価値観が居座っていたりと、とにかくガッカリして、すっかり好きではなくなってしまうこともあるだろう。

「好き」は簡単に「嫌い」になる。

だからこそよく、本当に好きなものを仕事にはしたくない、という言説を耳にする。

しかし、ここは忘れられがちなのだが、実は「好き」が「嫌い」になりやすいのと同じぐらい、「嫌い」も「好き」になりやすいのである。


「嫌い」はチャンスである。

まず、あなたがそれを「嫌い」な場合、他の多くの人も「嫌い」である可能性が高い。

であれば、自分がちょっとでも「嫌い」でなくなれば、ほかの人たちよりもずっと貴重な、価値のある仕事ができるようになる。

また、初めから「好き」な仕事の場合は、その仕事の中身をすんなりと受け入れてしまう。

これは実は危険なことで、実際はそこには色んな問題があり、改善していかないといけないわけだが、しかし「好き」で選んだ仕事だから・・・というわけのわからない忖度をして何もかもを受け入れてしまい、問題を抱えたまま苦しんでしまうことが多い。

「嫌い」だからこそ、その嫌なところ、面倒なところ、不都合なところに気づくことができる。
誰にも忖度することなく、おかしな点にメスを入れ、少しでもマシな仕事へと変えていくことができる。

あるいは「好き」なものというのは、それ以上「好き」になるのはなかなか難しいし、周りにもっとその仕事を「好き」な人がたくさんいるので気後れしてしまったりするが、「嫌い」な仕事というのは、ちょっとだけ頑張ったり工夫したりするだけで、かなりマシになる場合が多いので、けっこう簡単に「好き」になりやすいのだ。

ぼくは以前、みんなで集まって会議をするのが大嫌いで、なぜなら会議の場で、本質的な意見よりも、自分たちの立場を守るための論理をあの手この手で通そうとする人が多かったからだ。

それで、ぼくは長年、会議が嫌いで嫌いで仕方なくて、どうやったら少しでもマシな、誰もが積極的に自分たちのアイデアを出し合える会議になるのかと、あの手この手を工夫し続けて、結果的に会議自体が大好きになったし、今では話がまとまらなさそうな会議を取り仕切るためだけに呼ばれたりすることもある。

それから「嫌い」なものだからこそ、それを人にうまく教えることができる場合もある。

それが「嫌い」な理由を誰よりも知っているからこそ、それを克服するポイントがわかる。


もっといえば、ぼくらは「嫌い」を「好き」にするために生まれてきたと言ってもいいと思う。

はじめから誰もが「好き」なものなんて、つまらない。

誰もが嫌がることや、敬遠するようなものを、自分らしく取り組んで「好き」に変えることができれば、それこそが本当の「好き」であって、天職なんだと思う。

ぼくが思う「好き」な仕事とはそういう意味である。


以上は、id:fujiponさんの記事を読んで。