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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

生きているだけの、虫けら。







日本に住んでいる虫は、小ぶりで、いかにも弱々しい。



だからかどうかわからないけど、仕事中に、歩道の先をモンシロチョウがひたひたと地を這うように飛んでいるのを見ると、おうがんばれがんばれと思うし、工事中のフェンスにカマキリが一匹張り付いて来るはずのないエサをじっと待っているのを見かけると、お互いに商売あがったりだねえと声をかけたくなる。

日本の、特に街に住む虫たちは、時に車に踏みつけられてぺしゃんこになったり、玄関に迷い込んだところをゴキブリと間違われて殺虫剤を噴射されながら(そもそもゴキブリだって一生懸命に生きているわけだけど)、ひっそりと、地味な暮らしを営んでいる。


小さい頃は、そういう日本の虫たちのうだつの上がらない感じにがっかりしていた。

「世界の昆虫図鑑」みたいなのを見ると、まあ海外の虫たちの美しい色彩や、恰幅の良さ、実に強そうで堂々としたいでたちに、憧れとあきらめが複雑にまじった、ため息が出る。

図鑑に描かれたヘラクレスオオカブトの見事なツノの造形や、モルフォチョウの目の覚めるような色使いにワクワクしながらも、そういう芸術品のような虫たちが自分の周りには一切いないのをずいぶん残念に思っていた。

それでも小さな穴を空けたビニール袋を虫カゴ代わりにポケットに入れて、春になると、草の生い茂った空き地で虫捕りに出かけていたけど、同じポイントで虫を探していても彼らの顔ぶれは毎年変わらない。

初めの頃こそ大きなバッタやらトンボやらを捕まえては家に持って帰っていたけど、彼らの多くは段ボールを改造して作った飼育ケースに閉じ込めるとすぐに死んでしまうし、結局は自然の生き物というのは自然の中で生きるのが一番なのだと知って、僕の虫捕りは、ただの不定期の現地調査へと変わっていったように思う。

そのうち、僕の関心は友達と一緒に放課後の運動クラブに参加するほうに移っていって、それからもう虫たちとはずっと疎遠なまま。



日本に住んでいる虫たちは、実に無力だ。



彼らは、ただ毎日を生き残って、次の世代へと命をつなぐことで精一杯で、街ゆく人の目を奪うような美しい輝きを放ったり、ゲームに夢中の子供たちからその人気を取り戻したりする余裕なんてない。

ただ生きて、食べて、糞をして、脱皮をして、交尾をして、卵を産んで、死骸となって土に還っていく。

粛々とした小さな営みが、繰り返されていく。

そこには大きな生活技術の発展もなく、社会基盤の変化もなく、季節の移り変わりと、人間たちによる領土の侵食に、ひたすらにさらされ続ける毎日があるだけだ。



虫たちは、ただ生きているだけだ。



暖かくなった空を気持ちよさそうに飛んでいる、羽化したばかりのアゲハチョウ。

花から花へとせわしなく飛び回って、愛想のないハナアブ

石の裏からこっそり這い出して、何かを探しているダンゴムシ

もう少しすれば、セミたちが長い地下での暮らしを終えて、子孫を残すための大合唱戦を繰り広げるだろう。



どれもつまらない、何の刺激もない光景。

ただ、命が生きて、そこで動いているだけの、何の面白みもない光景。



最近、僕はそういうものを、じっと見つめていたいと思うことがある。

決して、命の不思議さを再発見するとかその手のたいそうなものではないのだけれども。

そこから何かを導き出したいとか、そういう類のものでは決してないのだけれども。