戻れない昨日と、究極のエゴ。






最近、「結婚とはするに値するものなのか?」という議論がはてなユーザーの中で盛り上がっていたけど、もう結婚してしまった僕としては、非常に不利な立場なので、傍観すると決めている。

だって、結婚ってイイですよって言えば反感を買うだろうし、しないほうがいいですよって言えば、自己否定になるんだもん。

しかしまあ、こういう話題に関心が集まるのも、ロスジェネ含有率の高いはてなユーザーが結婚について真剣に考え始めている証拠でもあるのだろう。 

僕の結論とすれば、ほんとに両方正しいと思っていて、家族の笑っている顔を見ていると結婚してよかったなと思う一方で、畜生、結婚してなかったらもっと冒険できるのに、とか、自由に生きられるのに、とか思うのは否めない。

それに加えて、結婚してから、僕の心の中には、ある感覚が僕を支配している。


ー もう、戻れない。


それは事実かもしれないし、それぞれのとらえようかもしれない。

ただ、とにかくこのワンウェイな感覚は、結婚するまでは全くなかった。

色んなことが重なっていたのだと思う。

結婚だけじゃなく、30代になるという意識や、仕事環境の変化などもあった。

どんどん仕事は忙しくなり、家庭を持つことへの責任も発生し、自分だけの時間がどんどん削られていき、働き方のスタイルを変えざるを得なくなった。

それまでは仕事が忙しくなると、休日を企画作業や取材の時間に充てたりしていたけど、それはすごく実行しにくくなったし、子供ができてからは自分だけの時間なんて、今みたいな新幹線の移動中の時間くらいしか確保できない。

そんなの自分が好きで決めたことでしょ、と言われたらそのとおりだし、反論するつもりなんて一切ない。

ただ、こういう経験から、僕はようやく、ほんとにようやく、身を持って知った。

人生は後戻りすることができないのだと。

それは僕の意識と行動に大きな影響を与えている。

たとえば、すごく逆説的だけど、以前よりも慎重ではなくなった。

だって、自分は坂道をゆっくりと転がり始めた石のように、もう二度と後戻りできない存在なのだ。

だったら、今のこの時間を少しでも楽しんだり、好奇心を満たしたりしたい。

後先のことなんて考えているヒマがあったら少しでもやったことのないものを試してみたいと願うようになった。

また、僕は今までよりもワガママになった。

いまさら誰かのためにガマンしたところで、周りからの評価なんて元には戻らない。

だったら、他人の評価よりも自分が信じる価値基準にのっとって生きた方がマシだ。

そんな風に僕の心は動いていく。

これは別に結婚がどうとかいう話に限ったものではないと思う。

実は、誰の人生だって、もう元には戻れない。

子宮の中で命として発生した時から、その砂時計は動き始めている。

僕の場合は、それに気づくタイミングがたまたま結婚であっただけである。

人によっては、物心ついた頃にはすでに気づいていることもあるだろうし、自分の死期を悟ったときにやっと気づくこともあるだろう。

いずれにしても、この時間の不可逆性こそが命そのものの性質なのであり、それゆえに時間こそは人生において、かけがえのない価値を持っているのだ。

しかし、僕には別の考えもある。

人間はいずれは死ぬ。

ならば人生というわずかな時間の中で、どれだけ生きる喜びを他人と分かち合えるだろうか。

その喜びは、自分という存在が消えたあとも、他の誰かから誰かに伝わっていくかもしれない。

そして、別の何かへと形を変えながら、この世界に生き続けるかもしれない。

そう思ったほうが、気が楽である。

だから、最近は僕は、他人に喜んでもらえることをもっと大事にしたいと思っている。

そして、それは偽善でも、カルト宗教でもなく、自分自身の幸せな死に方を願うあまりの究極の自己中心的なふるまいであることも、明らかにしておきたい。