小さな子供は、親を無条件に承認してくれる。
どれだけ僕がダメなヤツであっても、「お父さん」だと思ってくれている。
そのうち思春期になって、うちのオヤジはとんでもないダメ人間だとか言い出すこともあるのだろう。
それはそれで仕方ないことだし、しかし今これだけ僕のことを認めてくれているのだからそれでよしとしよう。
今が楽しければ、それでいい。
僕はそうやって、子供のことについて、とても自分本意に考えている。
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娘さんができてから、言いたいことが色々増えておられるmtakano氏のエントリを読んだ。
それぞれがとてもためになる本だった。けれども読んだ結果、夜中に起きてしまった娘を、そのまま待つべきかあやすべきなのか、どちらがいいのか悩ましくなった。
夜中に起きた赤ちゃんを待つかあやすかに悩む - 言いたいことがなにもない
氏は本当に優しい人だなあと思う。
我が家ではこういう時の基準は意外と明確で、「自分たちがあやしたければあやす、寝かせたければ寝かせる」である。
もちろん、子育てに対して自分たちの時間をできる限り使うという前提ではあるけど、その上で、あとは僕らの子供に生まれてきたのだから仕方ない、子供は親の都合に合わせなさい、悔しかったら早く大人になって自分のやりたいようにやりなさいと、そう言っている。
子供は、生まれてきた瞬間に、人間社会を構成する一員となる。
そして親はそれと最も強く結ばれた構成員となる。
もちろん生まれたての赤ちゃんは全くの無力だし、その命運に関するほとんどのことがしばらくは親にかかっているというのは考えてみると非常に恐ろしいことかもしれない。
しかし、もう子供が生まれた時点で、すでに彼彼女が存在する新たな世の中というものは始まっているのだ。
と同時に、親となった人間の人生にも、変化が始まっている。
それはものすごく大きな変化かもしれないが、しかしこれまで経験してきた人生の変化と同じとも言える。
僕らはいつだって、誰かとつながり、誰かと別れ、新たな人生を構築し直し続けている。
子供ができるというのは、そんな絶え間ない変化の中の一部でしかないと思う。
そしてその変化は、これからも生きてる限り、起こり続けることだろう。
だから、僕らは子育てについても「ベストを尽くした上で、最後は自分本意に考える」という態度で暮らしている。
迷うことは色々あるし、周りの人の意見も聞くけど、最終的には自分たちの都合を優先するようにしている。
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もちろん、僕たちの子育てはまだ始まったばかりなので、また考えは変わるかもしれない。
ただ、最近あらためて思うのは、人生は一度きりだな、ということ。
だから僕はますます自分本位に生きたいなあと思う。
そして、自分本位に生きるということの中には、他人と関わり、認められたり、頼りにされたりしながら生きることもかなり含まれてると感じる。
親として子供に頼られる経験というのは、明らかに、嬉しいものなのだ。
そんなわけで、僕にとっての子育てというのは、自分のための作業でしかない。
だから、空腹でも病気でもないのに泣いてる子供は、親の好きにすればいいのである。