難しい顔を、減らしたい。



ハンサムな男は、眉間にギュッとシワを寄せて、難しいことを考えているような表情をしていても、やっぱりかっこいい。



しかしまあ僕の場合はそういうわけにもいかないし、だいたい年を取ってくると、なんだか難しげな顔をしたおっさんがそばにいるだけで空気が重くなってうっとうしい。

ちょっと鼻歌まじりに登場し、いつもニコニコと機嫌のいい顔をして、他人の話にふんふんと耳を傾け、そこで自分に何か提供できるアイデアが思いつけばそれをそっと差し出して、相手が喜んでくれたらついうれしくなって、うふふとつい笑いをこらえきれず、そんな自分が恥ずかしくなってきて、さッとその場からいなくなる。

ああ僕はそういう男になりたいのだ。


しかし現実というのはなかなか手ごわくて。


どうも仕事が煮詰まってくると、眉間のシワがミシミシと音を立てて寄ってくるし、イライラが増えると舌打ちをしたり、畜生とかいう言葉が口から飛び出し、そりゃまあ僕は会社の犬なのだから畜生なのは間違いないのだけど、しかし自分でもそういう自分にがっかりしてしまう。

僕はどうも若い頃に、難しい顔をして仕事をするのに慣れすぎてきたように思う。

そういう態度を取ることで自分が頑張っていることを先輩や上司にアピールしていたのもあるだろうし、あるいは辛いことを我慢してやった先にこそ、何か良いことがあると思い込んでいた気もする。

まあ実際に、懸命に努力したことが報われる傾向にあるのは確かだとは思う。

しかしそれは確率的な話であって、どれだけ辛いことを耐えて苦労してきたからといって、確実に成功するわけではないのだ。

むしろそれは自分の中で「これだけ自分は苦しいところを我慢してきたのだから」という心の負債となって、後々の人生にボディブローのように効いてくる。

これだけ我慢したのに、どうして自分は他人に認められないのか。

どうして後輩のほうが先に出世するのか。

どうしてこのプロジェクトはうまくいなかったのか。

お前のせいだ、あいつのせいだ、社会のせいだ、そして、自分のせいだ。

そうやって、ますます僕らの眉間のシワは深くなり、心の扉はとじられていく。


はい、そこで、深呼吸。


たしかに僕らはそれなりに懸命に努力してきたし、そのいくつかはうまく行ったし、いくつかは失敗したし、時にこっぴどい目にもあったりした。

そして、それらは確率的な問題だったり、投下するべき時間なり労力なりの資源の配分を間違ったせいだったり、あるいは最初から全部読み間違っていたせいだったり、そして計画していた当初とは世の中が大きく変化してしまったせいだったり、色々だ。

だけどそこに費やしてきたコストを今さら回収しようとするのはやめよう。

少なくとも、まだ僕らは今を生きている。

その時間をちょっとでも新たな挑戦のために使うほうが、ずっと面白い。

やっぱり、人間がワクワク、ウキウキしていられる瞬間というのは、これから起こることに対して予測を立て、仮説を作り、それに合わせて作戦を練って実行し、本当にそれが正しいのか、あるいは予想外のことが起こるのか、ドキドキしながら結果を待つという行為の中にあるのだと思う。

そしてその楽しみは、年を取れば取るほど、増していくものだと思う。

だって、自分の積み重ねてきた経験があればそれだけ予測も立てやすいし、それを裏切られた時の驚きも大きいからだ。


だからやっぱり。


僕はできるだけニコニコ、ヘラヘラと、上機嫌な表情を浮かべて毎日を過ごしていきたい。


新しいアイデアというのは、肩の力を抜いて、広い視野で世界を見渡して、それでいながら自分の得意な部分についてはぐっと深くまで入りこめることができるような、本当に上機嫌な状態の時にしか思いついかないものなのだ。