以前、得意先の女性との打ち合わせ中に雑談になって、少し自分の家族の話をしたことがある。
その帰り道に、同席していた同僚からこう注意された。
「彼女は独身なので、あまり家族の話はしないほうがいいですよ」
僕はその場で、ああ確かにそうだね、これから気をつけるよ、と答えて今後の態度をあらためることにした。
別に腹が立ったわけではないが、この時のことを妙に覚えている。
僕の周りには「何を言うべきではないか」を読めない者をバカにする傾向が未だにあって、政治や宗教はもちろんのこと、贔屓にしているスポーツチームの話題から、休みの日に何をしているかまで、相手の機嫌を損ねるような内容を話す人間はダメなやつという烙印を押される。
そんな規制の中に「家族の話は結婚していない人の前で話さないほうがよい」という新たな項目が増えただけの話である。
ただ、あらためて思ったのは、「自分が楽しいと思うこと」を他人に話すのは本当に難しいな、ということだ。
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novtanさん(id:NOV1975)と池田仮名さん(id:bulldra)のブログでのやりとりを非常に面白く読ませていただいた。
昔から主張していますが、僕は匿名だからこその自制を行っておりますから、当然初めから書くべきことと書くべきでないことは区別しています。
「書けないこと」には敗北しません - novtanの日常
•機密情報は書かない(あたりまえ
•個人情報は(本人が望まない限り)書かない
•オフレコ話は書かない(あたりまえ
•著作権は意識する
そういう意味では、お祭については「お祭り楽しかったねー」でいいと思うんですよね。お祭りの面白さを他人に伝えるという不毛なエントリを書くつもりは僕にはないし、そこで自分を震わせた何かがあったらそれについてツッコんで書くってのは不毛ではないと思うし。ライブ見に行った感想で音楽の話じゃなくて情景の話を聞かされても面白くなかったりするしね。
「書けないこと」には敗北しません - novtanの日常
もう少し「趣味としての割り切り」が必要ですね。自然に書きたい事だけを書きたいのです。そんな中でも「緩やかに読んでくれる人がいる」「時々は呑み会で話せる」というのは素晴らしい事であると改めて感じました。こういう形で往復書簡ができるというのがブログの良さでもありますし、そもそもを支えているのは、「そこにブログがあったから」という事も重々承知しています。この充電中に、さとりに近づければ良いなと思います。
「さとりブロガー」は「書けないこと」を料理する感情労働から人格労働への転換? - 情報学の情緒的な私試論β
このやりとりの中でも、自分の中で楽しいと感じたことと、それを他人に伝えることは別だよね、という話があって、お二人ともそれを「割り切り」という言葉を使って区別しようとしている。
これは僕にとっても当たり前の話で、「何を言うか」と「どう言うか」というのは別々に考えるべき、というのが不特定多数を相手にするメディアを使ったコミュニケーションの鉄則であり、何を自分は今さらモヤモヤしているのだろうとも思う。
しかし、今さらモヤモヤしたのは、事実である。
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先日ズイショさん(id:zuiji_zuisho)とはじめて会った時も、ブログに書けることなんてほんのわずかだよね、という話をしていた。
novtanさんが「書くべきではないこと」で挙げられているような内容に加えて、自主的な規制をかけていくと、まあ書けることは痔の話とか人のエントリの感想とかにしぼられてきてしまう。
たくさんの制約の中で、それでも書きたいと思うことを書くのは楽しい反面、「糞ダルい」というのもわかる気がする。
ズイショさんはこれを「祭りの準備と本番」というメタファーを使って書かれていた。
少なくとも俺にとってのブログっていうのは所詮は祭りの準備に過ぎんのか。祭りの準備なら仕方ない。ブログ書くん糞ダルいのもこれで合点がいくわけです。本当に面白れぇ祭りの本番はブログの外にあって、ただ祭りの本番は祭りの準備をやらねぇと永遠にやってこないわけで、繰り返しになりますが祭りの準備の方が祭りの本番より楽しいとか俺にはよくわからんわけです、祭りの本番が俺には一番面白れぇんです。祭りの準備とかぶっちゃけ糞ダルいんですよ、何せ本気でやらないと祭りの本番がつまらなくなってしまうので全力でやらんとあかんのですけど本気出すん疲れるからめんどくせぇ。けど、あんな面白い祭りの本番が今後もまた時たまやってくるかもしれないなら、ダルいけど頑張るしかないね。だって俺は祭りの本番が大好きなので、そのために祭りの準備をするのはやむをえないわけです。そういうわけで、ダルいんですけど今後も普通にブログ書きます。最後までご清覧頂きました物好き極まりない皆々様におきましては、いつか僕と貴方が出会うその日迄、引き続きどうぞご贔屓頂けましたら幸いでございます。
今更だけどブログとか書くの糞ダルい - ←ズイショ→
これはたぶん氏特有の照れ隠しであって、お祭りの準備も楽しめて本番も楽しいから、ブログってとにかく楽しいよね、ということなんだと思う。
しかし、ブロガー同士で実際に会う、ということが別に「本番」だとは思わない方もいるだろうし、そもそもブログを書くということ自体が「本番」であって、それ以外に何が必要なんだ、という方もいらっしゃることだろう。
ここが、「楽しい」を伝える難しさなのである。
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これは別にブログに限った話ではない。
冒頭のできごともあって、僕は自分の結婚生活の話をこれまでより一層控えるようになった。
なかなか子供のできない人には、自分からは子供の話をしなくなった。
学歴を気にしている人には、母校や同級生の話をしなくなった。
仕事について触れたがらない人には、僕も自分の仕事の話をしなくなった。
おいしいご飯を食べたことも、会いたい人に会えたことも、面白い映画を見たことも、あまり話さなくなった。
そんなお金があっていいね、とか、時間があっていいね、とか思われるようなことはしゃべらないように努力している。
そうやって、僕はどんどん無口になっていった。
結局、僕自身は「自分が楽しいことをそのまま誰かに伝える」ことを、ほぼあきらめている気がする。
当たり前のことばかりで恐縮だけど、「楽しい」ことと「楽しんでもらう」ことは違うのである。
それでも、「いま、僕は、たのしい」ということを伝えられる時は、たった1つしかない。
それは相手も一緒に楽しんでいる時である。
僕は少しでもその瞬間に出会いたいという、ただそれだけの欲求のために、ああでもない、こうでもないと、チョロチョロ動き回っているような気がしてきた。
これは別に慈善活動でもキレイごとでも、なんでもない。
むしろ食欲とか性欲とかの近くでマグマのようにドロドロと煮えたぎっている、抑えきれない欲望に基づいているものなのだと、再度断言しておく。