やりたいことをやる、というのはなかなか大変なことだった。

やりたいことをやるって難しい
今年は、これまでやりたいと思ってきた色々なことに、思う存分、取り組むことができた年だったと思う。
もちろん、これがなければもっとやれたはずなのにとか、あれが邪魔しなければもっと先に進めたはずなのにかとか、思わなくもないが、これまでのことを考えれば、ずっとマシだった。
で、実際にやってみて感じるのは、しかし自分の意志で何かをやるというのはとても大変なことだなあ、ということだ。
というのも、当たり前だが、やりたいことをやったからといって、うまくいくわけじゃないし、色んな人たちにある程度の迷惑をかけるのは変わらない。
「やりたくないことを仕方なくやっている」なら、「すみませんね、ぼくもやりたくてやってるわけじゃないんですよ」という顔をしていられるが、今回はそういうわけにもいかない。
どれだけ言い方を変えようとも、「ぼくがやりたいことを実現するために、ちょっと迷惑をかけさせてくれませんか」ということに変わりはない。
それはなかなか大変なことだ。
何の言い訳もできない。
やればやるほど、借金が貯まっていくような感覚だった。
なので、そうやって迷惑をかけた人が「実は、こっちもお願いしたいことがありましてね」と持ちかけてきてくれると、とてもうれしかった。

迷惑かけてありがとう

これはプロボクサーでコメディアンのたこ八郎さんの言葉らしいけど、今年はこの言葉を心の中で連発していた。
迷惑かけてごめんなさい、ではもう謝りきることができないので、ありがとう、と思うことにした。
きっと、かけた迷惑のすべてを帳消しにすることは難しいけど、感謝することならできる。
そう思うと、少し気持ちが楽になった。
感謝という言葉、あまり好きではない、というか、得意ではない。
無理にするもの、わざとするものではない、という風に思いこんでいる節がある。
本当にそれを感じたときに自然と湧き出てくる感情、と思っている。
でも、それじゃあダメだなと思った。
思っていなくても手を合わせて、ありがとう、と口に出してみる。
人に迷惑をかけたということは、その人から何かを預かったわけだから、それをありがたく使わせてもらう。
そのマインドセットを作る行為が感謝なのかもしれない。

つかれまくった

いずれにしても、自分のやりたいことをやる、というのはとにかく言い訳のできない状況を作ることだと思った。
うまくいかないことは、全部自分のせいだと言われてもしかたない状況。
「ああ、自分のやりたいようにやれたら最高なんだけどなあ」という風にずっと思っていたけど、さて本当に最高なんだろうか…とは思う。
あと、はじめは自分がやりたくて始めたはずのことが、いつのまにか別の人のペースで進めることになっていたり、サポート役に回らないといけなくなっていたりもする。
あれ、これってどっち!?みたいな状況にも何度もなった。
要は、純粋に自分のやりたいことをやるなんていうのは幻想かも!?ということなのかもしれない。
その結果、とにかくつかれた。
つかれまくった。
年末は息切れしてしまって、早く休みたい…と思っていた。
もちろん充実感とか満足感はあるんだけど、それ以上に、これまで経験したことのないような疲労感がある。
来年からは、ちゃんと休息を増やして、続けやすいペースを作ったほうがよさそうだ。
まあそれも、やってみて初めてわかったことだからしかたないが。

来年からも続けていけるか

そう考えると、まずは今年はあまり後先のことを考えずにひたすら挑戦しまくったけれども、来年からは、ちゃんとやりたいことを続けていけるように態勢を整えられるかが大事なんだと思う。
今年は本当によくがんばった。
社会人になってから、わがままをここまで突き通したのは初めてかもしれない。
自分を十分にねぎらいたい。
そのうえで、少しペースを落としてでも、この暗中模索を続け、ちょっとでも光明を見出していけるように、自分の体と心を変えていきたい。
粘り強さとか、しつこさとか、耐久力とか、持続力とか、そういうのがフィットしそうな感じに。
そういう変化を、なりふりかまわずに取り入れられるようになったのは、とてもいいことだと思う。
それはとても楽しいことだ。
いくつになっても変わっていける。

まあ、変わらない部分があるのがわかっているから、というのはあると思うけれども。