人づきあいは、めんどうだ。
一度関係性がこじれると、その人のことを考えること自体もめんどうになるし、あるいは相手は一見気にしていないようであっても、影でぼくの悪評を広めていたりもする。
そういうものが積もっていくと、これまでの色んな人間関係をリセットしたくなる。
それにくらべて、一回きりの関係はすごく楽だ。
その場だけいい顔をしておけばよいし、その瞬間だけ相手もぼくも楽しければいい。
ぼくは昔から自由に生きることを欲していたし、そういう生き方の中では、人間同士のしがらみというのは本当に忌まわしく、憎しみの対象ですらあった。
だけどいま、この国は、どんどん狭くなっている。
ぼくがどんな人物なのかということはものすごいスピードで知れ渡るし、一度ついてしまった悪い評判は取り戻すことは難しいし、同じ人とまた出会う可能性も増えている。
たとえばぼくと同じ歳の人間はだいたい170万人くらいいるらしい。
たったの170万人!
世界中にはりめぐらされている情報ネットワークの力なら、ほんの一瞬で超えてしまう数だ。
このネットワークに見つからずに自由に暮らしていくことはとても難しい。
特に、日本語という特殊な言語でインターネット上にも大きな壁を作っているこの国は、全員がご近所さんのようなものなのだ。
いつまでも気楽な一度きりの関係性だけで暮らしていくことはできないのである。
ぼくは、このことを悲観しているわけではない。
そんな世の中の変化と同時に、ぼく自身も変化しつつある。
人生の出会いには、2つの楽しみがあるのだと、いまさら知った。
1つは初めての人と出会うこと。
それはいつだってぼくにドキドキとワクワクを与えてくれる。
だけどそれと同じか、それ以上に面白いのは、一度出会った人との関係性が、新たに育っていくことだ。
その中ではもちろんケンカをすることもあるし、相手をがっかりさせることもあるし、こちらが失望することもあるだろう。
だけど、お互いに相手を思う気持ちがあれば、そういったでこぼこ道も乗り越えていくことができる。
そして、ぼくらが歩いてきた不器用な道のりを振り返って、笑いあうこともできるのだ。
人の親にまでなって、こんな子供でもわかるような気づきを書くのはどうかと思うけれど、つい、今のしがらみがめんどうになって、何もかもをリセットしたくなったり、新しい出会いの気持ちよさに逃げたくなりがちな自分のために、書き留めておく。
大切なことは、全てをリセットしてやり直すことではなく、過去の情けない自分や今の格好悪い自分をちゃんと受け入れ、人生のジグソーパズルの1つのパーツとして埋め込んでいくことなのだ。
今日も、恥ずかしい自分を積み重ねて、少しずつ進んでいこう。