犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

ぼくの冒険には、ラスボスはいない。



最近、小学校高学年や中学生ぐらいの人が読むようなヤングアダルト小説とかジュブナイルみたいなのをよく読んでいる。



登場人物たちはたいてい学校とか家庭とか安定したシステムの中で暮らしていて、だけどその安全性を揺るがすような事件みたいなのに巻き込まれたりする。

そして自分たちが今までその堅固さを疑ったこともなかった当たり前の環境が、決してそうではないと気づき、自分たちの力で新しい世界へと踏み出そうとする、というような話が多い。

そしてぼくは、もちろん主人公たちの冒険に普通にワクワクしながら読むんだけど、一方で物語に登場する「旧態依然としたシステムを維持しようとする人たち」のほうにも感情移入していることがある。

学園モノであれば担任の先生や校長先生とか、伝奇モノなら言い伝えを語り継ぐオババとか、そういう人たち。

彼らだってもともとは古いシステムから飛び出そうと試みた若者だったはずで、それが今は自分の意志で古いシステムの安定を保とうとしている。

だからなのか、現在の秩序を守る立場でありながら、一方で、少年少女たちの冒険心には理解を示したり手助けしたりする。

そして彼らの探求が今の秩序を乱し始めると急に態度を硬化しはじめたりするのである。

こんなことを書くといやいや君もまだまだ冒険しなきゃいけない段階だからそんな人物たちに共感する必要はないと先輩方から叱られそうだけど、実際にそう思うのだから仕方がない。

もっと言えば、これはこれでぼくにとっては大いなる冒険なのである。


そもそも組織なりコミュニティなりシステムなりを安定的に存続させるために必要なものは何か。


それは継続的な破壊だ。

自分たちの弱点を常に探り出し、ぶっ壊すことではじめて、よりタフでより柔軟な仕組みを再構築していけるのだ。

だからシステムなり環境の安定を願うというのは、自己否定と自己再生を繰り返す姿勢を受け入れるということなのである。


しかしなかなかその道は険しくて、つい組織の論理に飲み込まれてしまったり、虚構にすぎない権力に飲み込まれてしまったり、狭い視野でしか世界を見ようとしない考え方に飲み込まれてしまったり、とにかく罠だらけ(あるいは罠しかない)。

この道中を、ただただ自分を含めた多くの人々の未来を願ってなどというよくわからない呪文を唱えながらトラップを1つずつ丁寧に叩き潰していく作業の、ああなんとつまらないことか。

こんなつまらない作業を自ら買って出てやってみる、なんてのはもう酔狂みたいな領域を超えていて、これを「冒険」と呼ばずになんと呼ぼう。

ああつまらない、地味すぎる、しかしこれがぼくが自分の人生においてまだ取り組んだことのない冒険。



ううん、ワクワクしてたまらないぜ。



最後に、最近読んだジュブナイルを3冊、アフィリエイトプログラムで紹介することで、ここまでの書いた文章の意味をさっそく破壊してみるという地味な冒険をしよう。


パスワードは、ひ・み・つ new(改訂版)-風浜電子探偵団事件ノート1- (講談社青い鳥文庫)

パスワードは、ひ・み・つ new(改訂版)-風浜電子探偵団事件ノート1- (講談社青い鳥文庫)

『パスワード』シリーズが発刊された頃には、ぼくはもう青少年じゃなかったせいで読んでいなかったのだけど、ここにはインターネットのある暮らしを大前提とした青春の形がある。
まだまだこれから新たな青春を送りたいと思っている強欲な大人にこそおすすめである。

天狗ノオト

天狗ノオト

小学生に向けて「お前らこれぐらいのボリュームでも十分楽しめるはずや、さあ読め」と突きつけている感じの大作ジュブナイル
ぼくはどちらかというと主人公たちを見守る天狗の側の視点で読んでいた。

バッテリー (角川文庫)

バッテリー (角川文庫)

とてもインドアなぼくなのだけど青春スポーツモノは大好きなのである。
しかしここでもオトムライこと戸村先生の心情の変化ばかりを追いかけていたりしていた。


また新しいものを読んだら報告しようかなと思う。