何かを失うには、練習が必要だ。

 

 

 

 

あいかわらず雨が降り続けている。

 

 

 

ポール・オースターの『サンセット・パーク』(新潮社,柴田元幸・訳)と、ドン・デリーロの『堕ちてゆく男』(新潮社,上岡伸雄・訳)を読んだ。

『サンセット・パーク』はリーマンショック下のアメリカ、ブルックリンを舞台にした小説で、『堕ちてゆく男』は世界貿易センターでの事件を背景とした小説。

 

ぼくはあまり小説について説明をするのが得意ではなくて、なぜなら小説の中で使われている言葉以外の言葉を使ってそれを解説してみせる、ということにすごく骨が折れるからだ。

とにかく、どちらもおもしろくて、夢中になって読んだ。

そして、失うことについて考えた。

 

大不況によって安定した生活がゆらぐ。

事件によって当たり前だと思っていた価値観が崩れていく。

そうやってぼくらは今まで手にしていたものを簡単に失う。

外から強引に奪われるだけならまだあきらめがつくが、年を取れば、自分の内側から少しずつ色んなものが失われていく。

若さ、体力、集中力、記憶力、辛抱強さ、そして自信。

 

誰もが大切なものを失わないために毎日努力をしている。

ぼくらの人生の時間のほとんどがそのために使われていると言ってもいいかもしれない。

だけど、そうやって大切に守り続けたものも、いつかは失われる。

 

だから、失う練習が必要だと思う。

それを悲しむこと、嘆くこと、時間をかけること、待つこと、受け入れること、そしてできることをゆっくりとはじめること。

ぼくが小説を読むのは、そういう練習を誰にも迷惑をかけずにできるからかもしれない。

 

雨が降り続けていると、晴れた空が恋しくなる。

だけど、ぼくが本当に求めているのは、二度と晴れる日がやってこない世界をどう歩いていくのか、その訓練をはじめることなのかもしれない。