偶然は、きらいですか。

昨日、山奥でキャンプ場を運営している方から話をうかがった際、「偶然、何か面白いことが起こる」というのを大事にしている、とおっしゃっていたのが印象的だった。

何日間も同じ場所に滞在していると、そこで予定していたこととは違う面白いことが起こる。
それは、意外な獲物がワナにかかったとか、珍しい植物が見つかったとか、あるいは突然の雨が降ったせいで美しい虹が見れたとか、色んな形として現れるのだが、とにかくそういう本来予定していたこととは違うことが起こることこそ自然の中で暮らすことの醍醐味だというわけだ。

いやあ本当にそうだなと思った。
ぼくらは普段、とにかく物事が計画通りに進むことばかり気にしている。
目的を定め、目標を決め、それを達成するための予定を立て、その通りに実行できているか、そればかり気にしている。
それじゃあ面白くないに決まっている。

一方で、ぼくがずっと大事にしてきたことも、やっぱり「偶然、何か面白いことが起こる」ということなのではないか、とも思った。
いちおうなんとなくのゴールは決めておくし、途中で通過したほうがよさそうなポイントも定めておくけど、それ以外はあまり細かく設定せず、そのプロセスの中で、できるだけ面白い偶然が起こるようにする。
ただし、そういった偶然が起こりやすい準備は色々としておく。
全体が見えているけど、細部も見ていないわけではない。
そういう、ゆるやかにかまえて物事に取り組んでいるときは、とても楽しいし、だいたい面白いことが起こる。
起こらなかったとしても、心に余裕が残っている状態で、その場を終えることができる。

そういうことがちゃんとわかっているはずなのに、急に自分を見失ってしまうことがある。
どういう時なのかと考えてみるに、ゴールにたどりつくのを焦っているときや、なんとしても目標を達成しなきゃいけないと思いこんでいるときだ。
そういうときは、まったくリラックスしていないし「偶然」なんて起こってほしくない、と思っている。
すべて計画通り、予定通りに進行し、無事に任務を遂行させなければいけない、と思っている。
人によっては、そういうほうが楽だったり、余裕をもって取り組めるのかもしれないが、ぼくの場合はまったくもって向いていない気がする。

目的や目標と、そのための手段をはっきりと区別するのが苦手だ。
というか、物事はそんな風にできていないと思っている。
プロセスの中にゴールがあり、ゴールの中にプロセスがある。
そんな簡単なものじゃない。

簡単じゃないものを、できるだけ細かく分解して、なんとか制御してみようとする試みを否定する気はまったくない。
それが人類を発展させてきた。
一方で、よくわからないものを、よくわからないものとして扱って、その不確実性や偶然性を受け入れながら生きていくということも、同じくらい役に立つような気がする。
どっちも大事。
そして、どっちも大事でもない。

とにかく、今のぼくにとっては、答えを急いで出そうと焦ることは、あまりいい結果につながらない気がする。
ここで起きる色んな偶然を受け入れながら、かっこわるく、恥ずかしく、不安で、あせっていて、びびっている自分のままで、しばらくやっていけばよい、と思う。