今年は、それなりに良い年だった。

2022年は、ぼくにとってはそれなりに良い年だっと思う。

一つ一つのことを取り上げると、いやいやどこが良かったのだ、ひどいことばかりあったじゃないか、とも思えるけど、今年一年でどうだったか、と振り返ると不思議となかなか良かったんじゃないかな、と感じる。

一番大きいのは、長年手探りでやってきた仕事に少しだけ光が見えてきたことだろう。全く余裕はないし、常に失敗し続けているけど、以前のような完全に闇に包まれて、何をやってもうまくいかず、不完全燃焼の日々が続く、という状態からは脱出できたように思う。
脱出に必要なことは色々あるけど、一番は「アホになること」じゃないだろうか。いや、正確に言うと自分が「アホだと思い出すこと」か。
頭がいいようにふるまおうとしたり、物事をスマートにやろうとしたり、そういう「かっこつけ」がぼくにとっては一番危ない。
どう見られるかなど気にする余裕もないくらい必死にもがいている時にだけ何かが前に進んでいる。
それを実感した年だった。もっとかっこわるく、もっと身もふたもなくあがいていこうと思う。他の人はそうでなくても、ぼくにとってはそういうスタイルが合っている。

それから、妻にすすめてもらって子どもたちと一緒に合気道の稽古を再開できたのもありがたかった。おかげで加齢と在宅勤務で衰えた体を鍛え直せている。今通っている道場は、若い頃に通っていたのとは別の流派のところで、教わることがまったく違う。しばしば真逆のことを言われたりする。はじめはそれがとても苦痛で、長年かけて身につけてきたことが全部否定されているような気がして稽古に行くのがおっくうだった。今回、久しぶりに再開してみて、やっぱり何もかもうまくいかず、注意されてばかりなのだが、以前のようにみじめだなとは感じなくなっていた。理由はよくわからないが、下の子が一生懸命に稽古をしている様子を見て、オレもがんばらねばな、と思えているのかもしれない。老いては子に従え、とは本当だなあと思う。ぼくはいつも子どもたちにたくさんのことを教わっている。ありがたいことである。

他にも色んなことがあったが、なんとなくそうやって集中して取り組むテーマをしぼりこめていることをもって「良い」と感じているのかもしれない。
ぼくはとにかく気が散るので、面白そうなことや心配なことが目に入ると、フラフラとそっちにいってしまう。
今年も心を乱すようなニュースが山のようにあった。
本当はそのたびにえらいこっちゃえらいこっちゃと思っていたのだが、それでもこれまでよりは取り乱さずにすんだように思う。
世の中には大量の情報を素早く処理できる人たちがいる。
そういう人たちは次々と起こる事件やニュースに対して論じたり、そこから未来を占ったりすることができるのだろう。
だけどぼくはそんな優秀な人間ではない。
だから、頭のいい人たちと一緒になって、世の中はどうだとか誰がダメだとか言ってる余裕はない。
できることをしぼって、それでもまだ不十分なので必死に汗をかき、ヒイヒイ言いながら、はいつくばって進む。そういうかっこわるい生き方をするしかない。
今年は少なくとも、そういうダサい生き方を実践できたように思う。だから良い年だった。

来年も、はいつくばって、かっこわるく進んでいきたい。