自分の弱い部分や苦手な部分は、相手にできるだけ知っておいてもらいたいと、最近は思う。
ぼくはなんでもできるわけではないし、むしろできないことが年を取るほど増えていく。
できないことを早めに伝えておかないとおたがいに勘違いしたまま物事が進み、迷惑をかけてしまうこともある。
しかし、なかなか「ぼくにはできない」ということを伝えるのはむずかしい。
ぼくは実は数字が苦手でして、と切り出せば、なんだこいつよくそれで今までやってきたなと思われるかもしれないし、実はよくミスをするんです、と告白すれば、わかってるなら何度もチェックして注意深く取り組めよと思われるだろう。
これが若い頃ならまあ仕方ないなとか、あるいはしっかりしろと怒られて済むのだけれど、ある程度年を取った人間がそういう話をする時の、あのなんともいえないみじめな「どうにもフォローしようもない空気」といったらひどいものだ。
また、それを勇気を持って伝えたところで、やりたくない言い訳をぐちゃぐちゃ言ってるようにしか伝わらない時もあるし、実際にそれが自分への言い訳にもなって、これ以上の成長がストップしてしまう気がして、どうにもこうにも口ごもってしまう。
そんなわけでぼくらは自分ができることしか引き受けないようになるし、できないことに出くわしたら全力で逃げるか、全速力で別の「できる人」にパスする、その技術だけがどんどん磨かれていくのである。
しかし、世の中というのはそんなに簡単にできていなくて、苦手なことからどうにも逃げられない状況に陥ることもある。
そんな時に「実は苦手でして」とはっきり言えるかどうか、これは本当にむずかしい問題だ。
残念ながらいまのぼくにはそれについての答えの持ち合わせはない。
しかし思うのは、ああ人間というのはこんな感じで「できない」ことが増えていくのだな、という感覚を忘れないでいたい、ということだ。
ぼくは今まで、(運動以外の)たいていのことは努力でなんとかできると思っていたし、その努力もせずに「できない」という人をひどくバカにしていた。
しかし、人間の成長は止まるし、そのうちできて当たり前のこともできなくなるのだ。
いや、いままでも「できない」ことはたくさんあったのだけど、「できる」ことのほうを強調してごまかしてきただけだ。
そういう事実に気づいたいま、どうも色々なもののとらえ方を変えなきゃいけない段階なのだろうな、と思う。
たとえば、できないことをできるようになることは、いいことなのか。
それとも、できることをもっとできるようになるほうが、大切なのか。
あるいは、できることをこれからもできるようにし続けることを、大事にするのか。
そしてひょっとすると、もうできなくてもかまわないものも、あるのではないか。
自分に関わる色んなことについて、そうやって確認してみたい。
まあそういう作業ぐらいなら、いまからでも「できる」わけだから。