ブロガーは、しゃべるのもうまいのか?








先日、とあるプロブロガーの方と話をしていた時に、

ブログのイメージと違って、すごく聞き上手な方だなと思った。


それで、僕がそう伝えると、彼はニッコリ笑ってこう言った。

「言いたいことはほとんどブログに書いているので、

特に話すことがないんですよね」


これはなかなかうらやましいぞ、と思った。

もはや悟りの領域である。

僕なんか、ブログで何を書いたって、

普段でのおしゃべりは止まらない。

よっぽど煩悩にまみれているのか、

ブログの中でちゃんとアウトプットできていないのか、

いずれにしたって、彼には気持ちのいい嫉妬しか感じなかった。





さて、id:bulldraさんは

ブロガーサミット2013(8月24日開催)に参加します - 情報学の情緒的な私試論β

だそうで、たしかに面白そうである。


何が面白そうかといえば、ここにあつまるブログ書きのみなさんは

どれくらいこのサミットで「発信」するのだろうか、という

非常に意地の悪い関心である。


たしかに登壇者のみなさんは「公の場所」で話すことに慣れている人ばかりだ。

そつなく自分の言いたいことを「発信」されるだろう。


しかし、彼らは自分の意志であろうと他人の要請であろうと、

「ブログ以外の場所でも自分の考えを発信することにやぶさかでない人たち」である。


ブログ書きの誰もがそういうわけではない。


普段の生活では言いにくいことを言えるからブログを書いている人もいるし、

人と会って話すよりも、文章で書くほうが

得意だったり楽だったりするからブログを書く人もいる。


そういう人たちが一堂に会した時に、一体どうなるんだろうな、と思って

僕は、腹黒いニヤニヤ笑いを浮かべているのである。


また、この手のカンファレンスでは、否応なく

「登壇者と聴き手」という構造がその場を支配してしまい、

それは後の交流会でも尾を引いてしまう。


なんとなく登壇者を中心としたいわゆるアルファな人たちと、

そうではない(またはそうなりたくない)人たちとの間にヒエラルキーができ、

色んな遠慮や阿諛追従や勘違いや空回りやらで、

そういう状況を好まない人々だけが、疲れきってしまうのである。

はたして多くの参加者が無事に、機嫌よく帰途に着けるかどうか、楽しみである。


勘違いしないでいただきたいが、僕はこのサミットを一切否定していない。


ブロガー同士がブログ以外で交信することがどれくらい可能なのか、

ということに底意地の悪い関心があるだけだ。





先日、ぺんぎん氏がブログに

「自分語りの日記的なブログを書き続けるのも、なかなかいいもんだ」

というエントリを書いた。

古いブログとか日記を思い返す - 大人の学びをファシリする Carpe diem / Memento mori


そのエントリをマレーグマ氏が読んでいたら、

氏は突然、ご自身の父上も日記を書いていたことを思い出した。

なんでかって言ったら、むずむずしたもので。 - おれ文庫

短いけど、すごく素敵なエントリになっている。



何度も書いていることだが、人間のコミュニケーションというのは

理解しあえることが前提ではない。


ひょっとしたら誰かに自分の中の何かが届くといいな、という淡い期待と、

色々な偶然が重なって、たまたま別の人間の中に何らかの変化が起こる。


そういった瞬間のために、僕らは祈りに近い切ない気持で

命がけの大ジャンプをして、何度も、何度でも、死んでいく。


サミットにおもむくみなさんには、

どうか死ぬのを恐れないでください、という言葉を贈りたい。

そして、運命の出会いがあることを心から祈っている。