生きていると、面倒な「しがらみ」がどんどん増えていく。
さっきまで、このエントリを読んでいた。
僕と妻の結論 - Everything You’ve Ever Dreamed
僕は、ちょうど今日、新幹線の中でふと
もし自分の両親を介護しなきゃいけなくなったら
どうなるのだろうと想像していたところだった。
★
妻の両親も健在だから、僕らは4件の
潜在的介護案件を抱えていることになる。
それに加えて、自分や妻だって
いつ不慮の出来事で人の世話になるかわからない。
年を取っていくと
色んな人の面倒を見たり、見てもらったり
自分以外の人間との関わりが
勝手に増えていってしまう。
会社のメンタルヘルスチェックによって
自由を一番大切にしていると
診断を下された僕にとっては
なかなか厳しい前提だ。
だけど、僕はいま自分にとっての
「自由」という定義をし直そうとしているところ。
★
誤解を恐れずに言えば
「自由」というのは
「受け入れる」と同じ意味なんだと思う。
色んなしがらみの中で
人間は、他者からさまざまな影響を受け
そして理不尽な介入を受け
どんどん疲労していく。
それは、人に介入されることを
「イヤなこと」「辛いこと」だと思うからなのだ。
もし、他人に関わっていくことを
「イヤなこと」と思わなかったら?
むしろ楽しいことだと思ったら?
きっと、その人は物理的には
自由ではないのかもしれないが
心はずっとのびのびとしていて
いつもワクワクしていられるのじゃないだろうか。
★
だからこそ、自分の周りの「しがらみ」を
受け入れてしまう。
それ自体を愛してしまう。
そんなことが大切なんじゃないかなと
頭でっかちに思っている。
けっこう難しいことを
言っているような気もするが
そのへんは年を取って
妙に「こすれて」きている自分には
それほど違和感はないのである。
やっぱり、年を取るのは楽しいことなのだ。