ちょっと、めまいがする。




最近のぼくは、これまでの人生で経験したことのないレベルで、多くの人から助けられ、支えられている状態にあると、強く感じている。



もともと、非常に個人的な人間で、人付き合いは苦手だ。

誰かと一緒の時間をすごしていても、自分のペースを崩したくないし、他人から何かを命令されるのが大嫌いだ。

よく優しいとか言われるが、それは本当は自分と同じように寛容であることを相手にも求めているからであって、それは優しいわけでもなんでもなく、自分の価値観を他人にも気づいてほしがっているだけである。

そんなぼくなので、当然ながら友人は少ないし、気の合う人と出会うこともほとんどない。

それはさほど苦痛ではなく、むしろ自由気ままにふるまって、やりたいことをやっていけたらいいと思っていた。

それが、もうすっかり年を取って、折り返し地点をすぎて、気がついたら、ぼくはいつも誰かに相談をし、誰かに教わり、誰かに誘ってもらい、誰かと一緒に考え、誰かの元気をもらって、暮らすようになっている。

こんなにたくさんの人から大切にしてもらって、果たしてこれを全部返すことができるだろうかと思うと、ちょっとめまいがしてくる部分もある。

だけど、それ以上に、ただ、ありがたいというか、こんな幸運に恵まれることは今後はもうないだろうなと思うし、だからこそ、今できることの最大を、命尽きるまで出し続けていきたい。

生きることは、こんなにも辛くて、孤独で、退屈で、クソどうしようもなくて、それでいて最高に幸せなんだということを、人生のすべてをかけて表現していきたいと思う。

ガーリックライスの、味。

 

 

 

昔から、本を読み終わったあと、あらためて単行本のオビや文庫本の裏表紙に書かれている紹介文を読み直してみて、ああ本当にそういう内容だったなと納得したことがほとんどない。

 

 

なんだか後味の悪い、モヤモヤとさせられる読後感だったなと思うときに限って、さわやかな青春群像劇!と書かれているし、あースッキリした、楽しかったなと思うときに限って、人間の存在を根本から揺るがす問題作!とか書かれている。

 

学生の頃、恩師に鉄板焼をごちそうになったとき、ファーストフードなんか食べるな、もっとおいしいものをたくさん食べろ、と言われた。

 

受験勉強でも、簡単な問題をいくら解いても力はつかない、難しい問題をウンウン言いながら解くから実力になる、味覚もそうやって磨かにゃならんと言われて、ううんなんて面白いことを教えてくれるのだろうとうなずいていた。

 

そしたら店のご主人がニコニコしながら、うちの味はよくわかりますか、と聞いてきて、ぼくはちょうどガーリックライスをいただいていたので、うーんと考えたあげく、ちょっと辛い、と答えた。

 

するとご主人も恩師も、え、辛い?と眉をしかめ、はてそんなはずはないのたまがと言い合っていたのを覚えている。

 

しかしガーリックライスは辛いのである。

 

ステーキと合うようにしっかりと胡椒を効かせていて、それが辛いと感じる人間はいるのだ。

 

たぶん、ぼくはそこで可愛げたっぷりに、はいおいしいです、と言ってのけてニッコリすればよかったのだが、その頃から空気が読めなかった。

 

仕事をしていると、よくウチの悪いところは何かを教えてほしい、正直な感想を聞かせてほしい、と頼まれることがあるが、そこで正直な感想を言うとだいたい相手は無表情になって黙ってしまうか、明らかに不満げな顔をするか、場合によっては、君は何もわかってないと怒られる。

 

それは当たり前のことで、人は自分の聞きたい感想を聞きたいからである。

 

だから、本気で感想や意見に耳を傾けるのは、すごく難しい。

 

ネガティブな意見を聞くと、それが痛い内容であるほど聞かなかったフリをしたくなるし、何よりも大抵の人の話というのは退屈であり、凡庸であり、中身がないように感じるからだ。

 

そのうち、あーそういう意見も聞いた、あーその話も聞いた、あーそのパターンもよくあるんだよねーと、相手の話を類型化するようになり、それを数字で測ろうとしたりする。

 

しかし実際は、すべての人の感想は全く違うものであり、それは全く違う背景から出てきた意見なのだ。

 

ガーリックライスの味を聞かれたとき、素直に舌の上にある感覚を答えようとした経験不足な若者の生きてきた時間、おいしいものを食べるのにこだわって一つ一つの体験を大事にしてきた恩師の人生、お客さんの喜ぶ顔が見たくて技を磨いてきた料理人のプライド、それぞれが全く違う背景の中で、同じ価値観について語ってると思いこんでいるだけなのだ。

 

誰もが、違う背景の中で、違う感想を持ち、違う人生を歩いているのだろう。

 

見た目には同じような生活を送っていて、わかりにくいけれども。

 

だからぼくらにできるのは、相手を理解することではなく、ただお互いの違いについてうなずき合うことぐらいなのかもしれない。

平成最後の連休に、働いてみて。

 

 

 

 

平成最後の連休に出勤する羽目になった。

 

 

 

梅田は買い物客で混んでいたが、オフィス近隣はがらんとしていて、外国人観光客が何人か写真を撮ったり地図をみたりしている。

 

ぼくのような休日出勤の会社員らしき人はほとんどいなくて、しかし当然ながらコンビニやカフェや服屋さんは営業していて、みんな忙しくしている。

 

それで思い出したのだが、若い頃はしょっちゅう休日出勤していて、それは仕事が完全に趣味だったからであり、ぼくだけでなく同じように静かなオフィスで集中して作品を作りたい若手が黙々と何かに取り組んでいた。

 

先輩はよく休め休めと言うのだが、休んでまでやりたいことはなくて、恋人や友人と会うにしたってまあ一日あればよくて、それ以上のヒマな時間があると持て余してしまって、ただしいつも寝不足だったから、ちょっと横になったつもりで一日中寝てたりした。

 

昔から遊ぶという行為が苦手で、すぐにそこに意味を求めたり、競争意識を持ったりしてしまい、素直にみんなと何かを楽しむことができなかった。

 

一人で遊ぶのは楽だが、誰かと一緒に遊ぶには、相手も楽しいと思い続ける必要があって、そのためには自分が負けても相手を称え、あるいは勝っても相手の努力を認め、「持続可能な遊び」をデザインしていく必要がある。

 

どうもぼくはそれができなくて、受験や会社の仕事のような、外部から与えられる「持続可能な遊び」にプレイヤーとして乗っかる、ということしかしてこなかった。

 

そのせいで、いざ休日がやってくると一体何をしていいのか、わからなかったのだろう。

 

今でも休日を満足に過ごせているかは自信がなくて、休日出勤になるとイヤだなあと思う一方で、どこかホッとしている部分もある。

 

ぼくにとっての平成とは、他人から与えられた遊びに乗っかって、同じように乗っかってきた人たちと遊んでもらっていた、そんな30年間だったのだと思う。

 

ただまあ正確にいうとこの数年は、そのことに感謝しながらも、ちょっとずつ自分なりの道を探り始め、すっかり年を取ってしまってはいるけれども、次の一歩を踏み出している。

 

もちろん不安だらけで、自信もちょっと足りなくて、若い頃にもっとこうしておけばよかったなとか思うこともたくさんあるし、情けないなあと感じることばかりだが、それでも新しい一歩が、新しい時代と一緒に始まっていく感じは、とても晴れやかだ。

 

昭和生まれの人は全員、平成という時代を生き抜いたことになる、と妻から聞いて、それはなんだか気持ちが楽になるとらえ方だなあと思った。

 

無事に平成を生き抜くことができた。

 

いまはそのことを喜ぼう。

 

そして、ともに同じ時代を支えあって生きてきた人たち全員に、ありがとうと伝えたい。

 

本当にありがとうございました。

 

新しい時代もよろしくお願いいたします。