ガーリックライスの、味。

 

 

 

昔から、本を読み終わったあと、あらためて単行本のオビや文庫本の裏表紙に書かれている紹介文を読み直してみて、ああ本当にそういう内容だったなと納得したことがほとんどない。

 

 

なんだか後味の悪い、モヤモヤとさせられる読後感だったなと思うときに限って、さわやかな青春群像劇!と書かれているし、あースッキリした、楽しかったなと思うときに限って、人間の存在を根本から揺るがす問題作!とか書かれている。

 

学生の頃、恩師に鉄板焼をごちそうになったとき、ファーストフードなんか食べるな、もっとおいしいものをたくさん食べろ、と言われた。

 

受験勉強でも、簡単な問題をいくら解いても力はつかない、難しい問題をウンウン言いながら解くから実力になる、味覚もそうやって磨かにゃならんと言われて、ううんなんて面白いことを教えてくれるのだろうとうなずいていた。

 

そしたら店のご主人がニコニコしながら、うちの味はよくわかりますか、と聞いてきて、ぼくはちょうどガーリックライスをいただいていたので、うーんと考えたあげく、ちょっと辛い、と答えた。

 

するとご主人も恩師も、え、辛い?と眉をしかめ、はてそんなはずはないのたまがと言い合っていたのを覚えている。

 

しかしガーリックライスは辛いのである。

 

ステーキと合うようにしっかりと胡椒を効かせていて、それが辛いと感じる人間はいるのだ。

 

たぶん、ぼくはそこで可愛げたっぷりに、はいおいしいです、と言ってのけてニッコリすればよかったのだが、その頃から空気が読めなかった。

 

仕事をしていると、よくウチの悪いところは何かを教えてほしい、正直な感想を聞かせてほしい、と頼まれることがあるが、そこで正直な感想を言うとだいたい相手は無表情になって黙ってしまうか、明らかに不満げな顔をするか、場合によっては、君は何もわかってないと怒られる。

 

それは当たり前のことで、人は自分の聞きたい感想を聞きたいからである。

 

だから、本気で感想や意見に耳を傾けるのは、すごく難しい。

 

ネガティブな意見を聞くと、それが痛い内容であるほど聞かなかったフリをしたくなるし、何よりも大抵の人の話というのは退屈であり、凡庸であり、中身がないように感じるからだ。

 

そのうち、あーそういう意見も聞いた、あーその話も聞いた、あーそのパターンもよくあるんだよねーと、相手の話を類型化するようになり、それを数字で測ろうとしたりする。

 

しかし実際は、すべての人の感想は全く違うものであり、それは全く違う背景から出てきた意見なのだ。

 

ガーリックライスの味を聞かれたとき、素直に舌の上にある感覚を答えようとした経験不足な若者の生きてきた時間、おいしいものを食べるのにこだわって一つ一つの体験を大事にしてきた恩師の人生、お客さんの喜ぶ顔が見たくて技を磨いてきた料理人のプライド、それぞれが全く違う背景の中で、同じ価値観について語ってると思いこんでいるだけなのだ。

 

誰もが、違う背景の中で、違う感想を持ち、違う人生を歩いているのだろう。

 

見た目には同じような生活を送っていて、わかりにくいけれども。

 

だからぼくらにできるのは、相手を理解することではなく、ただお互いの違いについてうなずき合うことぐらいなのかもしれない。