失敗したことを、話す。




先日、同じ部署の人たちに、この一年で学んだことについて話した。



ぼくはこういうときにグッドニュースばかり話すクセがあるのだが、今回はバッドニュースについても話してみたら、意外と笑ってもらえたし、それなりに話も中身のあるものになった。

悪い話についても触れてみようと思ったきっかけは、別のところで他の人の発表を聞いたとき、その人が正直に自分の失敗について報告してくれて、その失敗の内容がすばらしい気づきを与えてくれたからだ。

それで、これから自分の経験を話すときは、うまくいったことよりも、うまくいかなかったことを話すようにしたいな、と思ったのだ。


年をとってくると色々なものを守りたくなってくる。

イメージとか、評判とか、メンツとか、そういうやつだ(こうやって文字にしてみるとほんとにケチな、どうでもいいものだな)。

まあこんなケチなものを必死に守ろうとしていい報告しかしないよりも、少しでも役に立つ情報を伝えるほうがずっと大事だよなと、当たり前のことを思う。


これは自分が人の話を聞くときも同じなような気がして、成功した話ばっかり聞いていても仕方がない。

失敗談にはたくさんの教訓や気づきがあるのはもちろん、何よりも人間の味わいがある。

ぼくの好きな話は、いいところまで行ったのだけど自分の信念を曲げられなくて機会を逃した、とか、逆に自分をひたすら殺して会社の役に立つように尽くしたけど報いてもらえなかった、とかいうやつで、この手の話には自分にはまだ到達できていない深い苦味があり、とても滋養がある。


人は成功し続けることはできないし、努力にみあう結果を得られ続けるわけでもない。

勝った人の反対側には負けた人がいる。

仮に人生が勝った負けたのあるゲームなのだとしたら、その勝者は無敵の勝ち方を築き上げてこれをPDCAで研ぎ澄まし続ける人間なのだろうか。

その答えはもちろんイエスだろう。

では、一体誰がこのゲームを一番楽しめたのか。

それはゲームセット時にしかわからないことだけれど、ただなんとなく、勝ち続けてきた人だけが人生を楽しみ続けてきたのかというと、さてどうなんだろう。

あの苦くて、しかしうまみのある深い味わいは、簡単なことでは手に入らないようにも思う。



まあ、いずれにしたって、このくだらない世の中を生きる、というゲームを本気で遊び尽くすことが大前提なのだろうけれども。

ごはんがおいしい、理由。


すごくおいしいお店に行った。



そのお店はいつもぎゅうぎゅうの満員で、イラチの関西人も辛抱強く並んで待っている。

安くて、メニューは創意工夫があって、おいしくて、ちょっとだけ味付けは濃いのだけど、これがまたお酒に合う(ぼくは飲まないので関係ないが)。

かかっている音楽は軽快で、テンポが速くて、みんなのおしゃべりがどんどん進む、お酒も料理もどんどん進む。

お店の人たちは注文があるたびに大きな声を出しながら楽しそうに料理を作る。

どんどん食べて飲んで楽しんでいってくださいねと、笑顔で声をかけていく。

お客さんが食べて、飲んで、しゃべって、笑って、お店の人が作って、運んで、また注文を聞いて、かけ声を出して、それらがぐちゃぐちゃに混ざっていって、おいしいことと楽しいことと、あそぶことと働くことの区別がよくわからなくなってくる。

もともとは別々だったものが、お店の中でミックスされて、特別な味を生み出している。

これが創造なんだと、ぼくは場違いなことを思いながら、ワインで蒸されたばかりの貝をあちちあちちと殻からはがし口にほうりこむ。

さわやかな酸味とゆたかな甘みがたっぷり詰まった完熟トマトのスープを、フウフウ言いながら飲み干す。

にんにくとたまねぎの香りがたまらない濃厚なソースのたっぷりかかった、まだジュウジュウいってる分厚い肉にかぶりつく。

元気でスピード感のある音楽が、異質なものの組み合わせをどんどん加速させていく。

気軽に注文しやすい価格の安さが、お客さんを積極的にして、酒と料理を介した人と人のセッションをつぎつぎと発生させていく。

その光景を外から見ながら行列の作っている人々は、早くその素晴らしい時間がやってこないかと、今か今かと待っている。

イラチな関西人のくせに、辛抱強く並んで待っている。


そうなんだ。


消費することは、とてもたのしい。



ぼくはそこでまた場違いな発見をして、人知れず苦笑いをする。

荷物なんか、いらない。




あんたんとこの会社はスターが育ちにくいからねえ。



上司に連れて行ってもらったバーで、上司の知り合いからそう声をかけられて、ぼくは、はあ、そうなんですかと、あんまりよくわからずにあいづちをうった。

ぼくは新入社員で、自分はいつかスターになるのだとなんの根拠もなく思っていたし、しかしそうなるにはあまりにもたくさんのハードルが待ち受けていたけれど、だがまあそのうち何とかなると、やっぱりなんの根拠もなく思っていた。

だから、この人は何でそんな不吉な話をするのかよくわからなかったし、そんな話にただ黙ってうなずいてる上司も悔しくないのかと疑問に思いながら、たいして美味くもないピーナッツの殻を床に投げ捨てた。

そうするのが作法なのだと教えられたからだ。


仕事が面白かったかといえば、けっしてとびきり面白かったわけではない。

むしろ自分のやりたいと思っていたようなカッコいい仕事は別の同期の人間がたずさわっていて、ぼくはもっと後方の地味な役割を担う職場にいた。

地味なくせにやたら忙しくて、ぼくの段取りが悪いせいもあり、徹夜が続くことも多かった。

カッコいい仕事をしている同期とたまに会社で顔を合わせ、最近調子はどうだと聞いたら、もうしんどすぎる、昨日なんか終電だぜと言われて、こっちは電車なんかとっくになくなった時間まで地味な作業をしているのに、やりたいことやってて何がしんどいだ、とムカついていた。

仕事を教わっている先輩からはいつも怒られてばかりで、なぜ怒られるかといえば、ぼくが言うことを全然聞かなかったからだ(だいぶあとになってから、後輩が生意気すぎて困るといつもグチっていたと、別の先輩から教えてもらった)。


ぼくには理想があった。

こんな仕事をして、こんなふうに有名になりたい、というわかりやすくてバカバカしいもの。

いつもその理想が頭の中にどっしりと座りこんでいて、それとは関係のない仕事や正反対の仕事を否定していた。

周りの先輩たちはそんなややこしい新人の相手をするのはさぞかし面倒だったことだろう。

でも、みんな相談に乗ってくれたし、さまざまなアドバイスをくれた。

しかしぼくは理想をあきらめることはできなかった。


それから世の中は急激に変わっていった。

あっというまに、ぼくが理想としていた仕事のやりかたなんてまったく通用しない世界になった。

ぼくは進むべき道を見失ったし、たくさんの失敗を重ねた。

気がつくと、苦い経験以外に何も手にしていなかった。

自分はどうもスターにはなれなかったということを受け入れざるをえなくなった。

受け入れるにはかなりの時間がかかったけれど。


ところで不思議なことがある。

ぼくはブログを書いたり仕事とは全然関係のない人たちと出会って話をしたりしているうちに、急に気づいたのだ。

自分はとても自由なんだと。

いままでぼくは仕事とはこういうものだ、というよくわからない理想にしばられていた。

それは偉大な先輩たちが作ってきたすばらしいものだ。

しかしぼくの仕事は、ぼくが作ればよかったのだ。

誰かの理想を守ることなんて別の誰かにまかせて、もっとおもしろい未来を作ればよかったのだ。


あんたんとこの会社はスターが育ちにくいからねえ。

いつまでも業界とか世間の常識にとらわれていてはダメなんじゃないですか。

思いこみにとらわれず、もっと自由にやったらどうですか。

どうせ何も持ってないのだから。



また、新しい季節がやってくる。